作者の知識以上の世界は構築できないという事実

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以前、アシスタントにごちそうの描写を投げたらインスタント系の食材が並んだとかファミレスみたいなテーブルになったという話をした記憶もあるのだけど、基本的に創作物ってのは作り手の知識を超えた世界を作り上げることはできない。無論、能力的には色々と無茶をさせることは可能だけどね。主人公に100万トンの荷物を持たせたり、相対性理論を覆すような超理論を作り上げたり、世界経済を牛耳るような富を持たせたり。

けどその描写が、正しく適切な事実情報に基づいたものでなければ、ぱっと見では、勢いでは驚かされるかもしれないけど、すぐにリアリティの無さに気が付いて興ざめしてしまう。ポーカーをやっているのに手持ちのカードが4枚しかなかったり、プロ野球の試合で4アウトにならないとチェンジしないとか、そういう感じ。どこぞの球技のように、それをむしろ逆手にとってやりたい放題をやるエンタメ系の作品という切り口もあるけど。あるいは「俺が作った世界ではこれでいいんだよ」と開き直る手もあるけど。それで受け手がついてくるのなら。


無論専門的になりすぎて、正しいけど面白くないって状態になってしまうのでは本末転倒ではあるけどね。なんとか警察的な話もあまり好きではないし。

ただ、あからさまに知らんのだろうなあというのが分かってしまうと、あっという間に興ざめしてしまうのも事実ではある。舞台劇を見ていて、すっと舞台の書き割りに目が留まって、現実に引き戻されてしまうような感覚。作者が作った世界観に騙されていたいのに、それに気が付いてしまうってところ。もう少しうまくやってほしいよなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2019年9月 6日 07:26に書いた記事です。

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