インスタ映えの功罪

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21歳で独立し、この地で店を開いたとき、「小遣いで食べに来る高校球児も気軽に来られて、満腹になれるように」と「カツ丼大」を作った。


だが、雲行きが変わってきたのは数年前から。「大」を頼んでは、半分以上残して帰る客が相次ぐようになった。「スマホいうんかな。あれで写真を撮るだけ撮ってな。残った分はほかすしかないけど、お米もお金ももったいないやろ...。それ見とったらおっちゃん、何かもう、情けのうなってな...」と肩を落とす。

毎朝7時過ぎには店に入り、出汁を引き、高校野球シーズンは90キロ近い米を洗い、100枚以上のカツを揚げてお客を出迎えた。定休日も年末年始ぐらい。年も重ね、立ち仕事で痛めた腰が悪化しながらも「お客さんのために」と続けてきたが、半年ほど前「もうやめどきや」と決意したという。


ソーシャルメディア、特にインスタグラムにきらびやかな、映える、ステキナイスに見える写真を掲載することで、その写真への注力と共に自分自身もアピールできるという承認欲求お気楽満たしができることから、オシャレでインパクトがある写真を掲載し、インスタ映えを目指す動きが日常茶飯事化している。

それはそれでかまわないと思うのだけど、それのために本来の目的や主旨が蔑ろにされたり、常識外れや社会的に問題があることが平気で行われるのはどうなんだろうという感はある。今件もその一つ。

要はインスタ映えがするカツ丼大を注文して写真を撮ったら、多分に残して席を離れてしまう事例が多々生じるようになってしまい、御残しが多いのを気に病んで、メニューそのものを止めてしまったというもの。これまでにも残してしまう人はいたのだろうけど、それとは事情がまったく違う。


当たり前の話ではあるのだけど、頼んだものは全部食べようよ、という話でしかない。それすらまともに出来ないのは、社会人として成っていない、失格であると笑われても仕方がないレベル。

むしろそういう結果を招いたインスタ映えをしている方々は、その写真を評価するなどとんでもない、非難を受けても仕方がないと思うのだけどね。

あるいは、バラエティ番組などで食べ物を無駄にするようなシーンが日常茶飯事的に出てきて、映像の中ではそういうことが許されるという認識が浸透し、その映像を自ら作ることができるスマホでなら、自分も同じようなことをしてもよい、と判断するようになったのも一因かもしれないなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2019年8月18日 07:47に書いた記事です。

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