ダサいと納得しない人たち

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数理的なことや物の道理、科学的なお話でいくら物事を説明しても理解納得せず、自分がそれを受け入れるか否かの判断材料に、単にダサいかカッコいいかを用いる、それどころかそれが主軸の基準である人がいる。自認している人はもちろん、深層意識的に、半ば無意識のうちにそれを行っている人も結構いるはず。

そしてそれ方向性が最強となる属性、集団ってのも結構ある。具体的には挙げることはしないけど。挙げたらその行為自身がダセェとか言われて攻撃されかねないから。理不尽。

で、ちょっと考えてみた。ダサい・カッコイイが行動基準である人がいるってのは分かるけど、それではそのダサいとかカッコイイとかってのはどうやって決めるのだろう。見た目? 感性? 儲けられたかどうか? 曖昧だし、個人のセンス次第だし、具体的なものっては何もないよね。半ば以上感情論。1+1は誰にとっても2だけど、カッコイイかどうかは人によって異なってくる。結局は個々の感覚、概念軸次第。

そうなると、指摘されているように、何をカッコイイとするのか、ダセェとするのかってものの紐づけを間違えてしまうと、ろくでもない存在になってしまいかねない。極論としてご飯を食べることをダセェとしちゃうと、ご飯を食べずに生活するような方向性になってしまう。

そういう観点で考えると、教育とか子供の頃の生活環境って、とても大切だな、と思う。変な紐づけを施されてしまうと、他人から見ればダセェような存在になってしまいかねないから。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月29日 08:03に書いた記事です。

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