読書感想文の存在意義

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当方も本を読むのは好きなんだけど、その本を読んだ上で読書感想文を書かされるのはとてもいやだった。文書の再構築ができず、書き直しも面倒くさい原稿用紙の上で、読んだ本の内容をつらつらと書き連ねていくのは、それだけて苦行となる。さらに内容を他人に読まれ、その上ダメ出しをされてしまうことも多々ある。

読書と連動する形でイヤなことが生じるというパターンが継続すると、読書そのものもイヤになってしまいかねない。そりゃ、文を書くのが好きな人もいるし、今ではワープロで編集をした上で原稿用紙に清書することも可能なんだろうけど(本末転倒だけどね)。当方は絶望的に文字が汚いので、文字を直接書くことには大変イヤな思いをしていたので、さらに感想文への嫌悪感は大きなものだったんだよなあ。

教え手側からすれば、しっかりと本を読んだか否かを確認するため、読解力のチェックなどの観点で、読書感想文は必要だという主張もあるだろう。また、文書構築の修練の経験値を積み重ねるのには、読書感想文という機会は最適だとの考えもある。けれど、だからといって嫌なことを強要されるってのは、やはり理不尽感は否めない。

何かうまい方法はないかなあ。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月10日 06:53に書いた記事です。

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