低賃金や無償・ボランティア問題は結局のところ、人の善意や社会的義務感の買い叩き・泥棒行為と同じ

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医療方面でタダ働き問題が発覚して、その時の払っていなかった側の言いわけが酷い者だったという話がきっかけ。結局、社会的意義とか倫理観とか人の善意などで動いてもらうものに関しては、それが絶対的な固定価値だと勝手判断して実対価の削り取りに使っていると、その価値観がもろくも崩れてしまいかねない。ダダで拾ってきた足場を好き勝手に使っていたら、ある日突然壊れてしまって積み上げていたものが全部台無しになってしまった、という感じ。

社会的な意義がありそうなもの、インフラまわりとか医療とか介護とかが好例だけど、に従事する人を低賃金やさらにはボランティアで働かせ、その理由づけとして善意が、社会的義務感が、倫理観が、社会貢献がと正当性を持たせるのは、結局のところ働く人たちのそういう気持ちを買い叩く、ただで奪い取るのと同じなのだよね。

相手のためを思えば、社会的公共性を考えれば、対価など最小限でいい、むしろタダでやれ云々という話は結局こういうこと。そう、都合のよい理屈をつけたタダ働きの強要でしかない。

よく考えなおしてみると、この類の話って、社会が、公共性がと声高に語り低賃金やボランティアを強要する側が、社会的公共性の感覚を持ち合わせていないという皮肉な構図だったりするんだな。物事って得てしてそういうものかもしれないのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月 2日 07:55に書いた記事です。

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