「報道」こそが「学生運動」の完成された形態との指摘

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「私達記者は正義、がんばる」とか機関紙的な偏重、扇動内容、フェイクワゴンセール状態の報道実情(無論それがすべてではないけど)の報道、特に新聞界隈のあれこれを見るに、今の新聞は(内部構造、構成人員という観点で)機関紙や同人誌のようなもので、それに社会的意義を提起するのは筋違いでは無いかという話は以前からしている通り。

昨今の2000万円問題にしても、きっかけはテレ朝ではあるし、新聞を中心に実情を正しく解説しているところがどれほどあることか。公式アカウントがこの類の戯言を日々たれ流すのを見るに、内部の人達の実情と、そのような人達が作る製造物たる報道内容がどれほどの品質であるのか。そこに社会的存在意義はどこまで定義できるのか。同人誌や機関紙に「自分達は正義、国民の代表、優遇しろ」と言われても。


無論これだけが正解、これのみが当てはまるという事はない。けれど、現状の「報道」、いや多分現状暴露されつつある、これまでもそうであったであろう「報道」の姿こそが、前世紀における「学生運動」の完成された姿であり、かの人達が自称する社会的存在意義であるのではないかな、と。そう考えると色々と納得できるところがあったりする。「私達記者は正義、がんばる」が非常に分かりやすい。これなら説明は容易。

実のところ反社会的行動理念の体現化したものが、学生運動なのか、報道を用いたオルグ活動・扇動行動であるかの違いということなのだろうけど。

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このページは、不破雷蔵が2019年6月21日 07:57に書いた記事です。

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