「ネットの情報は信用がならない」では無く「ネットでは信用のならない情報にも容易にアクセスできる」

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新聞やテレビなどの既存メディアとインターネットをそのまま並列列挙して、どちらが信用できるか云々っていう調査結果を精査するときには、必ず挙げているお話。先日の池袋での事故に際し、加害者側の報道での取り扱いを受けてこんな話が出てきたので、覚書というか改めてということで。

「インターネット上の情報は信用ならない」という主張が出ていたけど、違うそうじゃない。「インターネットの情報は玉石混淆。信用のならない情報にも容易にアクセスできる」ってこと。これって同じようなことを新聞に対して表現すると「新聞の情報は信用ならない」では無く「新聞(という紙媒体)の情報は玉石混淆。信用のならない情報にも容易にアクセスできる」と同じ事。この新聞とは大手新聞社による信ぴょう性の高い記事に限ったものではなく、紙媒体として(デジタル媒体でも別にいいけど)発行される、新聞を自称するメディアすべてを意味する。つまり胡散臭い団体の機関紙も、小学校の学級新聞もすべて含む次第。

結局インターネットってのは媒体というかツールでしか無く、その上に乗っかってやってくる情報の信ぴょう性ってのは、発信源によるところが大きいんだよね。何しろ信ぴょう性が高いと認識されている新聞とかテレビにしたって、インターネット経由で情報を大量に流しているのが現状なのに、それは信用がある、あれは信用がないってのは変な話でしょ。

そして「信用のならない情報にも容易にアクセスできる」というよりは「分け隔てなく情報がやってくる」インターネットにおいては、指摘の通り、受け手側は既存のメディア以上に取捨選別のスキルが求められる。テレビや新聞の情報に容易に踊らされていたのなら、インターネットを利用するようになったところで、同じトラブルを起こしてしまうまでの話。

インターネットによって情報取得の利便性はけた違いにアップしたけど、それは単純に便利になったというだけでなく、より選別が難しくなったということをも意味する。何でもそろっていた一軒の雑貨屋での買い物から、大きな商店街での買い物に変わったという感じかな。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月21日 07:41に書いた記事です。

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