無意味な努力も実在する

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努力をすることはとても大切ではあるし、物事の成就には欠かせない要素に違いない。努力に勝る天才無しとの言葉もある。ただ、その努力が事実上無意味なものっていうケースもある。指摘されているように、努力は認めるけどどれだけの意味があるのか、というものもあるし、それを無条件で絶賛するという人もいる。でも冷静に考えてみればお馬鹿さんでしかない。

方法論をちゃんと論理的に考えて、できるだけ効率的な方法を選択し、その上で努力のリソースを投入する。その思考と選択まで合わせて、本当の努力と表現すべきだろう。「努力というのは、頭空っぽで何かをするんじゃなくて、どうすれば最良かを必死に考え抜くことも含まれる」ってのはまさにその通りで、筋肉バカではお話にならない。


この「考える」ってところを軽視する傾向があるのも否定できない。ちょいと工夫したり良い選択肢を模索して選択するだけで、投入リソースは劇的に節約できるし成功確率も上がるし時間の短縮もできる。何も考えずに努力するってのは、ちょっとカレーを作ってみようかと言われてインドまで香辛料を育てに行くようなものだ。

何より時間や工数を減らして目標を達成することで、空いた時間や工数を他の事に投入できるし、休むこともできる。何も考えずに突っ走るより、色々と考えて模索してからの方が、結局は早く、そして楽にゴールにつけることは多々ある。理知的なものの考え方ってのは、そういうことなのだな。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2019年4月 9日 07:01に書いた記事です。

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