継続は力なり、されど蓄積性の毒に犯されることなかれ

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インターネットの世界はまだ構築されて日が浅い事、情報の性質的に蓄積されるメリットが大きいので「辞めない」ってもの、継続性の価値の高まり方が半端ないってのはよく言われる話ではある。ただ、同時に指摘されている通り、継続性に伴い晩節を汚す的なお痛をしてしまう事例が多々見受けられる。

ん~。晩節を汚すというと、すでに終焉を迎えているような、あるいは自分で宣言したりそれっぽい状況にある人のことを指してしまう気もするので(お痛をして結果的に晩節になるというケースもあるけど)、むしろ継続することで生じる、インターネットの特質による蓄積性の毒に犯されないよう注意しなきゃならないよね、という気もする。

これって何を意味するかというと、ネット以前の話では切り替えがあったりリセットされたりで気が付かなかった、蓄積されることで段々と具象化してくる、濃くなってくる「毒性」のもの、ある意味では本質の一部分ってこと。SFなんかでよく見られる、長寿命の人達が蓄積性の食品の毒性を避けるために、徹底的に加工食品を避けたり、さらには外に出て空気を吸わずに無菌状態の部屋に住むってのと似ている。長くなればなるほど、大したもので無くても積み重ねなられて増えてくる。臨界点を超えてしまうってところで、花粉症の発症ロジックと話は似ている。

もちろん、継続することで成功して力を得たり裕福になったりやりたいことができるようになって、これまで隠していた、隠されていた本質の一面が飛び出てしまう、暴露されてしまうってこともあるだろう。

いずれにせよ、謙虚さが大切であることに違いは無い。我を出さずに損をし続けたり、不快な思いをしたり、理不尽な経験をさせられるのも嫌だけど、傲慢なスタイルを通していると他人に不快さを覚えさせてしまう。それが自分の不幸にもつながる、気持ち的に嫌だなあと思うようになったら、自分自身も成長した証となるに違いない。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月 1日 07:35に書いた記事です。

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