「自分のため」は大切だけど、それだけでは折れたらオシマイになりかねない

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自分の行動の燃料として自身の願望をメインに据えるのは悪くない...というか普通の人間ならそれが当たり前の話。もっと生活を楽にしたい、目立ちたい、良いものを作りたいという自己欲求的なものとか、もう少し大まかな感じでその行為が好きだからってのでもいい。

けれど自分の軸だけで進んでいると、その自分自身の軸が何らかの形でゆがんだり折れたりしてしまった時に、立ち直りが難しくなってしまう。

その観点では、自分の欲求の軸以外に、他人の欲に答えるような方向性を見出しておくと、セーフティーというか保険的なものとして役立つ機会があったりする。自分の欲求は満たされていったり飽きてしまったり慣れてしまったり加齢で勢いが落ちるなどの理由から縮退してしまうことが多々あるけど、他人が絡んでくると自分の欲求のブレーキとは関係なく常に新鮮な流れを得ることができるからね。

進化の袋小路論とか、組織における新しい血を入れる話とか、構造的なリストラクチャリングとか。そういう話と根本部分では同じ。また、自分の欲求とか思いってのは強ければ強いほど、得てして周辺環境の変化に対応せずに頑ななままで維持されるので、時間の流れとともに旧態依然なものとなってしまいかねない。それが判明した、気が付いた時に、他人に向けた要素があれば、形を変えたとしても歩み続けることが出来る。

まぁ、ドライに「行動意欲には保険をかけておく」って表現もできるけどね。一方で外への気持ちを考慮に入れておくと、その反応も大いに期待できるので、行動意欲が大いに底上げされるし補完もされるってのもあるんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2019年3月27日 07:56に書いた記事です。

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