「記者が国民の代表とする根拠」

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菅義偉官房長官は20日の記者会見で、首相官邸が東京新聞記者の質問権を制限するような要請を官邸記者クラブに出した問題に関し、官邸側が東京新聞に「記者が国民の代表とする根拠を示せ」と要求していたことを明らかにした。


官邸側の対応について、田島泰彦・元上智大教授(メディア法)は「権力が一方的な考え方を押しつけてきており、本末転倒だ。記者は市民が共有すべき事柄を、市民に成り代わって取材し伝えている。広い意味で、知る権利に応える国民の代表である」と指摘した。


「信長のシェフ」のケンによる独白「そんなものは 無い」で終わってしまう件ではあるのだけど。「専門家」の肩書を利用して記者側に都合のよいストーリーの後押しをするという観点でも興味深い報道に違いない。

この記事だけを読むと、専門家がそういってるんだから、そういうものなのだろうなあ、という錯覚もしてしまうかもしれないけど、その肩書をさくりと調べると元々そういう意見が出ることを前提に「専門家」として選択されたというのが分かってしまうというトリックばらし。リプライなどで指摘もされているけど「広い意味で」という言い回しを使っている時点で、こじ付けであると暴露しているようなものではある。

報道が「専門家」「有識者」などの肩書を使って文面の正当性を担保させようとしている時は、その人の実情を確認するのが大切。都合のよい肩書持ちの人である可能性もあるからね、今回のように。

「記者は市民が共有すべき事柄を、市民に成り代わって取材し伝えている」。共有すべき事柄か否か、どこの誰が決めて、その正当性は誰がどのように保障しているのかな。そして「成り代わって」は自身の意図であり勝手判断では無いのかな。

ジャーナリストや専門家、有識者は自称すれば誰にでもなれるし、新聞は自称すれば誰にでも刊行して新聞と語ることができる。それと同レベルのお話でしかない。記者は国民の代表だとする主張は。自称以上の意味は無い。

実のところ今件は、お騒ぎしている記者や専門家、報道関係界隈には、下手に突くと自分の首を絞めることになる(そこまで理解できる頭脳があれば、そもそも一連の騒動は起こしていないのだけど)。何度となく指摘しているけど、情報の公知の環境が昔と変わっているため、そもそも論として報道や記者の定義そのものが曖昧になっているのが現状だからね。そして自分達の都合のよいように定義をしようとすると、報道や記者を規制するという愚挙を自ら犯してしまうことになる。


こういう解釈もあり。守ろうとしているとの意気込みは認めるけど、それは自己発起のものであり、いわば勝手連とか自発的なパトロール隊みたいなもの。今件はそれを、公認ファンクラブやら警官として主張しているのと同じなんだよね。

ちなみに「僭称」とは「身分を越えて勝手に称号をとなえること。また、その称号」ということ。皇族の一員だと自称して詐欺を働いたり、某国の王族だけど資産処分に協力してくれないかと持ち掛けてくるスパムメールとどれほどの違いがあるというのか。

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このページは、不破雷蔵が2019年2月23日 07:55に書いた記事です。

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