ソーシャルメディアは距離感をゼロにするツール

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先日ワクチン陰謀論的な人が「医療関係者は危険だと思っているからワクチンを打たずして医療現場に云々」というドヤ語りをして、四方八方からフルスロットルで突っ込まれていたのを目にして。当人は本当に心底からそのように思っていたのか、あるいは思っただけだもん的な感覚だったのかは知らないけど、ソーシャルメディア上でそれを公言する時点で、不特定多数に公知したのと意味を同じくしてしまう。

ソーシャルメディアは距離感、そして時間の感覚を思いっきり圧縮した形で他人に意思表示ができるツール。しかも自分が意図した相手にだけってのじゃなく、不特定多数に向けたものとなる。特定少数に向けて発信したければ鍵をかけるなり、ダイレクトメールを使うなり、グループウェアでやればいい。

どうもソーシャルメディアの利用の際の意思疎通相手が、元々リアルなどでの身近な人が多いって調査の回答を見るに、その特性というか本質が、概念的に理解できていないのではないかな、という危惧がある。授業中の秘密の伝言を友達に渡しているようなつもりでも、世界に向けて発信したのと同じ意味を持つのだよね、ソーシャルメディアでの情報展開は。

その辺りの概念って、インターネットで初めて登場したもので、しかもソーシャルメディアではじめて不特定多数に相互間で容易にできるようになったものだから、どういうものか構造的に理解できていない人が多いような気がする。物事のあれこれをフロチャート式に考えることが論理的に不可能な人、難しい人ってのもいるのだけど、まさにそれと同じ状況。

もちろん、そのような使い方をしちゃいけないというわけじゃない。表現の自由はある。ただ、その自由を行使すると、それに比類して責任を負う必要が生じてくる。その責任に耐えられないのなら、使う際には注意した上で使わなきゃいけないよ、というまでの話でしかない。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月31日 07:28に書いた記事です。

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