よい道具を迷わず選ぶべし、自分の歩みを確かに、速めるものとするから

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「弘法筆を選ばず」の言葉は一般的には「弘法大師様は素晴らしい腕前だからどんな道具でも達筆を成してしまう」って解釈だけど、むしろ「素晴らしい腕前なので無意識のうちに最良の道具を選んでしまう」という読み方もあるらしい。実際に自分で道具を使う立場にあるのなら、むしろ後者の解釈の方が望ましい。前者の立場の領域に達する人はごくわずかしかいないのだから。

つまりどういうことかというと、語られている通り、道具の良し悪しで自分の成果物の出来栄えは随分と変わってくるし、だからこそ道具はよいものを選ぼうよ、というお話。子供が使う文房具はおチープですぐに壊れて精度の悪いものじゃなく、多少高くてもしっかりとした精度の、使いやすいものを選ぼうって話が以前にあったけど、まさにそれだな。


あまりにも自分の実力とかけ離れたゴージャスな道具を使うと、かえって使いきれない、振り回されるって感じで、生兵法は大けがのもとにもなりかねない。ただ、相応のよいものを選べば、自分を鍛え、足りない部分を補完し、よい仕立てをしてくれることになる。

でも自分の実力と照らし合わせ、どれが「よい道具」なのか分からないってことも多い。そういう時は同じ領域の先行者に話を聞くか、そういう人の真似をしてみるってのがいいんじゃないかな、と。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月25日 07:12に書いた記事です。

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