フェイクニュースとウソと間違いと過信と

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「フェイク」という言葉の本質を思い起こせばすぐに理解はできるのだけど、「フェイクニュース」とは本来意図的に、誤情報を事実として広めた情報そのものや、その公知行為のことを指す。エイプリールフールのネタが好例だね。あれを最初から事実だと断じて「エイプリールフールのネタです」と公知する人は、色々と頭の中を疑われてしまう。

他方、当人が少なくとも発信時は本当だと思っていたことや、時間経過で間違いだと判明した事は該当しない。殷王朝の前には王朝は存在しないとか、太陽は地球の周りを回っていたとか、それが間違いであるという確認が取れていない時代では、それが事実としてに認識されていたのだから、発信した当人はフェイクだという認識はさらさらないし、間違いだったと確認された現在においても、それをフェイクニュースと呼ぶ人はいない。単に間違っていただけの話。

一方で「情報」に「印象」も該当することを考えれば、報道の印象操作的な記事も立派なフェイクニュースになる。また、真偽が疑わしい情報を語らせるインタビュー記事(事実上、その対象のアピールの助長)もまた、フェイクニュース足り得る。

例えば前世紀末の某新興宗教の関係者を次々にテレビ出演させて主張を公共の電波に流した一連の行為も、立派なフェイクニュースといえるのだろうなあ、という感はある。

さらに、間違いはフェイクニュースではないけれど、必要な精査をせずに情報を創り、それが結果として間違いだった場合、「意図的に真偽を精査しなかった」との観点では、フェイクニュース足り得る。「なんか間違えているっぽいけど面倒くさいし、内容が自分にとっては都合のよいものだから、精査しなくていいや」的なものが好例。

ただ問題なのは、情報発信者が誤情報を狂信的に信じていた場合。いくら間違った内容でも当人は正しい情報だと断じているのだから、「間違った情報を意図的に流した」には該当しなくなってしまう。例えば「地球は巨大な像が地面を支えているんだ。世界中の首脳がそれを隠している」という話を新聞に書けば、それはフェイクニュース以外の何物でもないけど、発信者がそれを妄信して事実であると信じて疑っていなかった場合、フェイクニュースといえるのだろうか。

色々と考えさせられる話ではある。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月22日 07:53に書いた記事です。

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