フェイクニュースか否かは媒体単位では無くて発信源やニュース単位で

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先日の【人のCG化で「言ってない事言わされる」というけど、これまで同じような事山ほどやってたじゃん】の話に留まらずBBCが「フェイクニュースを超えて」的な話を続け、既存のメディアは真実を解き明かす、ネット上のメディアはフェイク盛りだくさん的な話が成されている。でもそれってどうなんだろうという気がする。

そもそもフェイクニュースの定義からして、随分と使い勝手の良いツール扱いされている。本来は発信源が元々ウソだと分かっていて、それでも本当のようにたれ流す情報のことを意味する。皆が楽しめるエイプリールフールネタならいいけど、そうで無ければ害悪だ、的なもの。詐欺とかペテンと同じだな。

一方で、発信側も発信時には本当だと確信していたことが、後々になってウソだという事が分かるってのもある。でもそれはフェイクニュースでは無く、単なる間違いだったという事に過ぎない。かつて天文気象科学が未熟だった時代に天動説を唱えていた人達を指して、フェイクニュースを流したとは言わないよね。

で、狭義の意味でのフェイクニュースについて考えると、ネットがフェイクで新聞やテレビ、それに属している人の話が真実って印象付けがもりもり山盛りなんだけど、ちょいと引いて考えると、それこそがフェイクニュースだったりする。日本ならば「もりかけ」、米国ならば先の米大統領選以降の報道のあれこれでよく分かる。


要はメディア単位でフェイクだのフェイクで無いだのというのは筋違い。メディアはそもそもインフラ、ツール。フェイクか否かは、その発信源に寄るところが大きい。さらにいえば情報単位で精査をする必要がある。新聞に書いてあることは全部事実(真実、とは違う)、ネット上のは全部フェイクってことでは無く、あくまでもそれらのメディアに乗ってくる情報単位でフェイクか否かを見定めねばならない。その上で、発信源、記者個人や組織単位で、フェイクのリスクが高いか否かを見極めることで、フェイクをつかむリスクを減らすことが出来る。あの新聞のあのジャンルはスットコな記者が担当しているし、それを新聞社側も許容しているから、とりあえずパスしておこう、様子見しようってのが賢い対応の仕方。

仮にネットがフェイクで新聞が真実(この言葉もアレですが)だとすれば、ネットに記事を配信している新聞社はどのようなポジションになるのかな、と。まさにマッチポンプではある。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月17日 07:41に書いた記事です。

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