物理的な商品とデータ上の商品で思い出の度合いが違うという話もあるけど

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書籍を紙媒体の本では無くて電子書籍上で読むようになったり、音楽をCDでは無くデータとして取得して聴くようになると、確かに思い出云々の質が薄くなったとか、無くなったという話はよく見聞きする。それっていくつかの理由があって、その一つがこれじゃないかな、という気はする。要は投入するリソースが少なくなったので、刻まれることも無くなってきたのではないか、と。ダウンロードしたデータだって、何度も繰り返して読んだり聴いたりしていれば、それなりに思い出に残るはず。

他方、ちらりと触れられているけど、対象を取得するまでに必要とされる労苦もまた、思い出の残り度合いにも影響する。さくりと検索したりリンクをたどって得た結果と、あちこち回ってようやく見つけたものとの間では、自分が経験した度合いは異なってくる。便利になればなるほど、目的を達するまでのプロセスは短縮されるので、その部分が思い出に影響するのなら、そりゃあ残りにくくなる。

それとは別に、他の要因もいくつか考えられる。データは同一端末でやり取りするだけだから、他のものとごちゃ混ぜになる。本やCDはそれぞれ独自の物理的存在なので、それ自身の造形も記憶の対象となる、内容と紐づけされる。その分だけ、記憶に残りやすい。人の記憶の構造ってのは、多くの物品と紐づけされるほど、後々まで残りやすいってのは、記憶術としてのノウハウにあるぐらいだし。

また、データ上での曲とか本を使うようになると、取得しやすい事から量が増えるので単純にひとつあたりの注力が減るとか、手元にあっていつでも利用できるという安心感から、逆に記憶のフックが外れやすくなるってのもあるのだろう。


ゲームに限っても、配信はパッケージと比べてわくわく感が無いのではという話もあるけど、色々な見方がある。上記で挙げたように物理的なパッケージ版はプロセスが多いので、その分記憶に残りやすいし、気持ちを高ぶらせる効果がある。だからといってダウンロード版にそれがまったく無いかというとそんなことは無い。ただ、パッケージ版とは異なる攻め方が必要だってこと。ティーザー広告とかはその辺を考えた上での方法論のひとつかな、と。

また、「配信は作り手に手ごたえがない問題」に関しては、過去の慣習を引きずっているか否かという見方もある。ボーナスが昔封筒に現ナマを入れて渡され「ボーナスが立った」状態で歓喜するという描写とか、それを覚えている人は口座に直接入金されると、数字の変化のみでの味気無さを覚えるとか。

そしてこの辺りの「単なる情報か、物理的な感覚か」の違いの橋のかけわたしをするのがVRとかかなーと思ったり。ボーナスならばVRで手渡しされるとか。入金手続だけじゃなくて。

昔のプレステの某オンラインサービスで、アクセスが集中して落ちた時に、トップだか開発担当が歓喜の笑みで「落ちちゃいました~」と発言したことで問題視されたことがあったけど、あれは結局「それほどアクセスされた」事が体感できたことの反応だったのだろうな、と。不謹慎か否かは別として。

実態は無いけどアプリゲームでSSRが出たら嬉しいとか、作家が重版されたら当然嬉しいけどSNS上で自分の作品への好意的意見がもりもり出てたりとか買ったよ報告があったりとかファンアートを見つけたりとか。手に取れる物理的存在ではなく情報に過ぎないけど、やはり嬉しい、と。ただそれは、物理的なパッケージを手にした、売った時の実感や思い出とは別のものなので、同じ軸で考えると色々と錯誤を生み出したり、下手を売ってしまうのだろうなあ、と。

この辺りの話は多数の要素を含む結果としてのものだし、状況によって微妙に違いが生じてくるので、ブレストなどを経て色々とまとめると面白い感はあるのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月 9日 07:25に書いた記事です。

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