「粗削り」「概略」とはかけ離れた報道の実態

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与えられた時間や表示できる文字量には制限があるので、情報を伝えるのにはどうしても切り貼り編集による簡略化、そして分かりやすく説明するための解説化が必要になる。そしてそこには人の手が加わるわけだから(AI化されたとしてもそのAIを創るのは人間なので、結局人の意向が加わる)、どうしてもぶれなり偏りが生じてしまう。これは仕方が無い。

けれど現状の報道は、その仕方が無い、誤差の許容範囲に収まっているのか否かという問題。あるいはぶれの方向が特定方向に偏っていないか、というものもある。今回のノーベル賞に絡んだお話が好例。だけど、この類の解説を報道界隈自身が行う事は滅多に無い。やったら自分の首が締まるから。自己批判すらしないので、どんどん状況は悪化していく。


似たような話はちょいと漁っただけでもいくらでも出てくる。恐らく本格的にこの類の精査を始めると、図書館を埋め尽くすぐらいの量になるだろう。マスコミの存在そのものの必要性を否定するわけでは無いけれど、それに携わる人たちの品質の低さ、悪用のされ度合いを見ていると、組織や業界が腐敗する構造や、それを放置していくとどのような結果になるのかがよく分かる事例になっている気がする。仕組みはよくても中身が腐れていては、何の意味もない。

報道界隈の中身がもう少しまともなら、日本はもっとよい方向に歩んでいるのではないか、日本の今の問題点の多分は、報道の中の人達の品質に大きな原因があるのではないか。よく言われることだけどね。近所の悪ガキにオールマイティカード的な権限を与えて戦車を乗り回させているようなものだから。


挙句の果てに最近では特に、この類の主張が増えている。自分達は市民の、国民の代表だ、一般市民の声を弁明している、などなど。でもね、誰も選挙で報道界隈の人を選んだわけじゃないのだよね。

読者・視聴者が云々とあるけど、それはあくまでも商品として選択したまでの話。それが通るのなら、すべての表現物は購入・閲読した人がいれば、一般市民全体の声を代表していると主張できてしまう。第一、購入したり閲読したことで権利を委任するとか、思い上がりも甚だしい。

中の人がそういう言い回しをしているのなら、それはフェイクであると断じてよい。確かにその通りではある。

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このページは、不破雷蔵が2018年10月 8日 07:27に書いた記事です。

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