「自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う」とは言うけれど

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「「だって、僕は『自分を信じている』もん。自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う!」 」とはからくりサーカスでの某氏による超有名なセリフ。色々と曲解されたり元々の意図とは別の解釈で使われることが多いのだけど、字面からだけならば「自分の夢を疑わずに努力を続けていれば、必ずその夢はかなうものである」として、努力の継続性を肯定する意味合いとして解釈できる。気が滅入ったりした時によく自問自答するよね。

ただ現実には、必ず誰もが夢をかなえられるわけじゃない。そして夢をかなえるために相応の努力が必要とは限らない。指摘されている通り「努力」と「夢がかなう」との関係では、「努力した結果として夢がかなった」「努力したけど夢はかなわなかった」、そして「努力せずに夢がかなった」「努力せずに夢はかなわなかった」、さらに「夢自身が無い」の5パターンがありうる。だからタイトルのセリフは「自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか叶うかもしれない」というのが正解に近い。何だか夢が無いな。

また、「蒔かぬ種は生えぬ」とかいう話にあるように「少なくとも努力しなきゃ夢はかなえられない、かなえられる可能性は高くならない」ってのもある。確かに一般的には何もしないよりも相応の努力を、そして相応よりもたくさんの努力をした方が、夢がかなう可能性は高くなる。けど「努力せずに夢がかなった」って場合もあるし、努力の方向性を間違っていたり機会を逸すると、「努力の度合いを変えても夢がかなう確率が変わるわけじゃない(かなわない)」ってことにもなる。まぁ、だからといって、努力をするな、切り株にウサギが飛んできてぶつかるのを待とうってわけじゃないのだけど。


気をつけなきゃならないのは、世の中の実情として「努力」と「夢がかなう」との間における関係を「努力すれば夢は必ずかなう」の一通りしかないと信じ込んでしまい、そこから「努力が足りないから夢がかなわない」と結論付け、自暴自棄に陥ったり、気を止んだり、変なものにダマされてしまったりする。

本当に努力が足りないだけなのか、努力してもかなわない夢なのか、努力はいいけど方向性が間違っているのか。油田にもう少しで到達できるのに石油採掘を止めた人の話のたとえ話にもあるように、本当はどれが正解なのか、見極めが難しいのが困り物なのだけどね。人生にはリセット・再ロード技は使えないからさ。

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このページは、不破雷蔵が2018年10月 7日 07:53に書いた記事です。

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