試験勉強でのテンプレ学習は身に付かない、よね

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試験勉強で効率的なのは、いわゆるテンプレ学習。特定のパターンのみで点数を取ることが第一義的なもの。無論、そのテンプレによる知識情報を足掛かりとして、そこからさらに自分の発想や知識理解を深めるアクションに移行できるのなら、それは自分の能力として取り込んだことになるし、先行記事での「公教育における丸暗記」に通じるところがある。

しかし試験勉強での詰込み学習は得てして、試験をクリアするための学習以上の意味を持たせている人は少ないので、試験がクリアした時点でオシマイとなり、そこから色々と考えを深めたり、自分の知識として活用するってところに至る人はさほどいない。実際、高校や大学受験の時に学んだあれこれを、いまだに覚えている人ってどれだけいるだろうか。「こんなことを勉強した記憶があるけど、詳細は分からない」って人がほとんどだと思う。当時の教科書や参考書を引っ張り出してきて、すらりと解ける人、どれほどいるかな。

で、そういうパターンでハードルをクリアしてしまうと、そのテンプレ以外の方法論を考えるという事が出来ない、やったことが無いので分からないから、すぐに行き詰ってしまう。自転車ならば特訓で乗れるようになったけどブレーキのかけ方を知らないとか、接客の練習を知人に相手をしてもらって何とか出来るようになったけど、いざ店頭に立ってみると色々な反応を示すお客の前に、何もできなくなってしまうとか。これって指摘されている、お医者さんに限った話では無い...って、ああ、なんか自分が通院している主治医に、そんな感じの人がいたような気がする。むしろ患者の当方が指摘して問題に気が付くとか。


肩書はそれだけでそれを取得するだけの能力を有するものであるという証明なのだから、それはそれで誇りを持つのに何の問題も無いのだけど、そのほこりの持ち方を誤ると色々とアレな人になってしまう。そもそも日本語をしっかりと読めてないよね、というケースも少なくない。いや、読めてはいるけど理解はしていないと表現した方が正しいかも。してこれもまた、お医者さんに限った話では無く、肩書を有している人とか、そういう権威ある職業についている人達にありがちなお話には違いない、と。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月24日 07:20に書いた記事です。

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