デマを大声で語られたら対抗は難しい

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本日まで限定公開されている怨み屋本舗でも触れられていたけど、情報ってのは基本的に受ける側の手の届く範囲で処理されて判断材料に使われるので、その届く範囲の材料が限定されていたり、さらにはそれを取捨選択する方法論を知らないと、情報を検証する機会は無いよね、という気がする......

...いや、検証する云々では無く、多分に検証そのものをしない、自分の観ている領域の、都合の良いもののみを鵜呑みにしている感じの方が強い。雑誌の商品レビューでお気に入りの評価者の話のみを信じ込んで、何でもその人の言う通りにしちゃう。テレビの某タレントみのなんちゃらさんが言ってたから、その情報は間違いないとか。色々と間違いをやらかしてしまう可能性も高いのだけど、その方が楽なので、そうしてしまう。

しかも昔はテレビとかラジオとか新聞といった、一方向性の情報につかるってのが人の日常生活における情報の接し方のメインだったから、そういう様式に慣れている。メディアが語る情報は全部真実。疑いを持つことがあっても、そういう考えは社会そのものを不安定な思いで見てしまうようになるからダメだ、的な。ああ、これ、単なる宗教じゃないか。


経験値を積み重ねすぎると、その経験から得られる方向性のベクトルが時代遅れ、現状とは異なる方向に行っていたとしても、それを修正するのが大変なので拒否してしまう。下手すると自分自身を否定することにつながるので、それは許しがたい。面倒くさいからやらないってのは、パソコンやらインターネットの習得性向の時にも触れているけど真実だと思う。無論全部が全部では無いけど。

だからこそ、情報のアップデートは欠かせないし、それが出来なくなった存在は単なる過去の遺物でしかない。先日から騒ぎになっている、サマータイムを持ち出してM氏なんかは好例だよな、と。


悪意のない、善意で成される悪業ほどたちの悪いものは無い。宗教みたいなものだから。なので、徹底的に叩き潰すしか方法がないんだよねえ、という感はある。

他方、ファクトチェック機構云々という話も出てるけど、これとて米国での設立プロセスとか日本での話を見れば分かる通り、多分にフェイクを流す側が自らの正当性を肉付けして、フェイクに仇なそうとする側を叩くための武器として正当化しているだけの存在となってしまっている。ヘイト云々周りのポリコレと同じ扱いなんだよね。正義の御旗を自分で作って正当化する道具に使われてしまっている。

なんかもう、色々と手づまりなのかなあ、何かもっとよさげな方法がありそうな気もするのだけど。怨み屋本舗の例の村の章にある「まとめサイトに書かれていることを鵜呑みにする自称正義の味方」関連の話を見て、色々と考えていただけに、ぐるぐると頭の中に渦巻くものが明確化しなくて困ってしまうのだな。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月13日 08:04に書いた記事です。

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