自分が語っていない言葉が語られたことになっているインタビュー記事とかあるよね

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記者が勝手にインタビューの内容を自己解釈して文言を変えたり、さらには語っていないことが語られたことになっていたり。先日ちょいと話題になった「インタビューされたら記事の事前チェックが必要不可欠」という話が出てくるのも、こういうことが結構あるからってのが大きな要因だったりする。

話ことばをそのまま文字にしたら雑多なものになるし読み難くなるので、文章として仕立てる時に編集をしたり思い違いなどを修正するのは仕方が無い。それはむしろ記事構成では欠かせないもの。けれど、記者側の思惑や思い込みが勝手に盛り込まれていたりすると、当然激おこぷんぷん丸フルスロットルバージョンになるのは当然のお話。下手をするとインタビューを受けた側の信頼がどん底まで落ちてしまう。

引用元では「やっちゃいけないこと」とあるけど、これはもうそれ以前の常識レベルのお話。ではそういうことを平気でやらかすのは、常識を知らない人なのだろうか。多分そうなのだろう。

法人に属している記者やそのたぐいの人なら、そういうことをしちゃいけませんと上司なりから指導を受けているはずなのだけど、その類のも最近は無いのか、それとも組織単位でそれをアリとしてしまっているのか。全部が全部ってわけじゃないのだろうけど。

自衛手段としてはインタビューを受ける際に状況によってはこれを公開しますよと宣言した上で自分自身も録音などの記録を取っておくことかな、と。幸いなことに、こういう自前での記録も容易になったのが昨今の技術進歩ではある。


さらりとだけど今回の本質の一つが言及されている。インタビューそのものが主目的なのでは無く、記事全体の権威づけのためにインタビューが行われ、その目的のために言及がねつ造される、都合の良いように改ざんされ、さらには口にしていないことを言ったように書かれてしまう。

昔はそういうことをされても泣き寝入りだった。個人での情報発信能力はメディアと比べれば芥子粒みたいなものだから。でも今ではネットのおかげで泣き寝入りをせずに済むようになった。少なくとも昔よりは随分とマシ。だからこそ、記者のいい加減な創作的文章によるインタビュー記事の実情も暴露されつつあるのだけど。


というよりむしろそういうことが横行する、まかり通る、当たり前のように行われるのは、インタビューに限らず報道で似たような話が常識化されているからなのかもしれない。あれがいつもやってるのだからうちらでもいいのだろう、的な。

語り手の意図を正しくとらえ、語られた言葉を正しく編集し、読みやすくする。インタビュー記事では特に、そして報道記事も同様に、そういうスキルが求められるし、それが社会的責務として求められているからこそ、色々な特権が与えられている。

にもかかわらず、自分達の目的のために事象を、言葉を利用するという思惑の方が上回っているケースが多々見受けられるのが現状ではある。あるいは単に正しく意図を捉えられない、正しい言葉の編集が出来ないほど、スキルが絶望的なレベルでしか無いのかもしれない。両方だったら最悪だけど、それすら否定しきることは難しかったりする。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月10日 07:24に書いた記事です。

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