所有欲の本質と方向性の変化、選択肢の多様化

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若者の自動車離れをはじめとした既存の所有欲の減退が色々と話題に上っている。生活面で充足しているから、ほしいと思うものが少なくなっているという話も結構ある。ただそれって、往々にして従来の、昔の価値観での仕切り分けで「これを買わなくなった、欲しがらなくなった」という主張が多いのも否めない。

例えば現時点でカセットテープレコーダーやハンディカラオケ、固定電話、FAXを欲しがる人がどれだけいるだろうか、特に若年層において。つまりはそういうこと。所有欲、独占欲、何かを利用したいという願望は昔も今も変わらない。その対象が昔と今とでは違う部分が多いので、昔の部分にだけスポットライトを当てていると、人が離れている、所有欲が減っているという認識をしてしまう。それは所有欲全体の減退では無く、特定の対象に対する欲望の減退でしかない。


また、国単位の比較では日本はどちらかというと造形、物理的アイテムにこだわる傾向が強いってのも否定はできない。ただこれも、恐らくは全体像を通した時に生じる、年齢階層別構成比の問題が多分にあるのではないかと思う(昔の人ほど物理的なモノにこだわる。そういう人が多いと、国全体ではこだわる傾向が強くなる)。

他方、インターネットの普及が主要因だとは思うのだけど、情報の価値の変貌に伴い、所有権のトリガーが物理的なモノでは無く、データというものでもあり得るようになってきた。情報そのものに価値があるという次第。これ、極論的な例としては、物理的な書籍の資料としてよりは、電子書籍の資料の方がいいな、という感じかな。何かを調べる際のアクセス権とか、色々と探りを入れられる情報そのものとか。

結局物理的なモノってのは、それそのものの存在に意味がある場合もあるけど、そのモノを用いて何かを成せるか否かってのも重要な価値がある。例えば移動手段としての自動車は、それそのものの所有で意味があるってこともあるけど、同じような移動を容易にできる交通機関が発達していて、自動車の必要性が減っているところなら、交通機関のルート検索などのノウハウも似たような価値が生じる。さらに「自分はこんな車を持っている」とアピールしたい目的なら、VR内で似たような自動車を自在に操って乗り回して多数に披露できるようになるのなら、そのデータにも相応の価値が出てくる。

結局は自分自身が得られる直接的な便益、そして他人に影響を与え得る効果、それぞれが情報に置換できるものなら、その情報を直接得ても問題ないよね、それができるようになりつつあるのが、いまでは無いのかな、という気がする。

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このページは、不破雷蔵が2018年7月 1日 07:48に書いた記事です。

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