自分よりすごい人が周囲にたくさんいても

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この辺は日本人特有のものじゃない気がするけど、そういう部分もあるのかなあという気もしなくもない(結構あいまい)。特性としては日本人は他の一部のアジアの人達同様に、集団の中でしっかりとその役割を果たすことを重視する、反個人主義的な部分が多いってのは調査結果などでも出ている。けどその一方で、島国的な閉鎖空間が生活様式社会全体だと認識して、その中でのみの優越感・劣等感にこだわってしまう。上に誰かいるとそれだけでダメだと思ってしまう。

一等賞で無いとダメだ、二等賞以降はダメ。それが日本だけでなく、世界全体でも結構、かなり凄い事であっても。確かに指摘されてみればおかしいよな、という気がする。


確かに日本、さらには自分の手が届く範囲、領域内にスゴイ人がいると、その人よりも自分の能力が低いというだけで、だめだめ感を覚えてしまうって気持ちはすごくわかるし納得もできる。いくら背伸びしてもあの人には届かない。自分は存在意義はあるのか、このことをし続ける意味はあるのかという自問自答に陥る。アイドルの事務所でトップのアイドルにいつも差をつけられるような存在。

でも結局、それを考えていたらきりがない。トップで無いとすべてパージされるような場所なら話は別だけど、そうでない限りは自分が二番だろうと三番だろうと、石つぶてを投げられるようなことにはならない。トップがスーパーヒーローですべてのことをやってしまって後はお払い箱なんて場はありえない。

周囲を見回して自分の相対位置を確かめることは大切。けれどそれで自分の可能性や行く道を閉ざしてしまうのはもったいないし愚かな選択に違いない。むしろ自分が置かれている環境をラッキーだと思い、色々と吸収して自分のプラスに結び付ければいいし、広い世界においてなら自分だって結構イケてるからくじける必要なんてまったく無いじゃんという見方の問題なんじゃないかな、と。

まぁ、この辺りの問題って、ソーシャルメディアで可視化が進んで、自分の領域の上の人の動向が容易に見渡せるようになったので、結構大きな問題となっている気がするのだけどね。自分だけが思うのならともかく、第三者が茶々を入れてくるケースも無いとは言えないから。

唯我独尊...というと色々と語弊があるから、「人は人。自分は自分」ということかな。うらやましがるとねたみの関係はまた別で、これはまた機会があればということで。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2018年6月22日 07:50に書いた記事です。

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