現実のインフラは建設ゲームとは別物なのだよ

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「ゲーム感覚で」とか「ゲーム脳」とか「ゲームみたいに」という形でゲーム的に物事を考えているのだろうと揶揄している方々とかなり被る形で、現実のインフラをゲーム的に考えている筋がある。いや、恐らくはその考えが実のところはゲーム的なものだという発想すら無いのだろう。

建設系ゲームの多分、そして他ジャンルでも建設要素があるゲームではその大部分が、一度作ったものは耐久力の変化は無ければ経年劣化も無く、何らかのイベントなりで破壊されない限り、ずっと永遠にそのままの姿を維持し続ける。その方が処理が楽になるし、ルール的にもシンプルとなるからだ。

けれど実物のインフラはそうじゃない。建てたらずっとそのまま永続的に壊れもせずに使えるってわけじゃない。段々と消耗していくし、傷ついていくし、弱っていく。また、技術進歩が進めば進むほど、耐久度などでさほど違いが出なくても、使い物にならなくなっていく。人の寿命が例えば30年とかぐらいならインフラの経年劣化は「当人にとっては」さほど気にしなくてもよいのかもしれないけど、現状ではそうではないし、さらに技術の進歩度合いも加速度的なものとなっているので、単純な耐久度の減退以上に新陳代謝が加速していると考えても良い。この辺りって、以前言及した、社会全体の仕組みと昔の常識に固執する高齢層の人口構成比による、社会全体の陳腐化の話と通じるところがある。

ともあれ、インフラってのは社会全体を人間に例えると、色々な臓器とかの部位と同じ。見た目はずっと変わらないように見えて、実は日々新しいものに変わっていく。その新陳代謝が止まれば、当然人としての生命の維持は不可能になる。


そして常に新しいものを作り上げていく、差し替えをして更新するだけでなく、メンテナンスとかも必要である事はいうまでもない。この辺りも「ゲームとはちゃうねん」という点では一致するのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2018年6月 3日 07:17に書いた記事です。

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