(学校の)運動が苦手になる理由

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例の某大学でのスポーツ競技のお話から派生する形で。「筋肉はすべてを解決するとかいうのはウソじゃないか」という話と共にあがったのが、このような学校教育における体育での「一体感に対応できない人の想い」。要は連帯責任で自分が足を引っ張るのが分かっていたので、そのことがプレッシャーとなり、体育、さらには運動そのものがますますイヤに、苦手になってしまうというもの。

漫画だとそれでも頑張って何とか皆について行ったり、練習して人並みになれるってオチなんだろうけど、世の中そううまくはいかないし、他の子供もそこまで人はできていないのが実情。それに本人自身の劣等感はそれほど簡単にはじき出せるものじゃない。

まぁ、この辺りの話、まったくもって自分自身にも当てはまったものではあるのだけど。


以前記事にもしたけど、学校教育課程では学習面が軽視され、運動面が重視される。運動は多分に連帯責任、クラス全体の評価につながるけど、学習は基本的に一人だから。先生もクラス全体をほめたいものだし、学習で良い成績をとったその人本人を褒めるとえこひいき云々と言われかねない。色々と理不尽ではある。

運動を全体協議と認識して、争うことで成長を促す。それはそれで効率的な手法ではあるのだけど、その手法ばかりを見ていると、強要していると、それ以外の運動の楽しみが否定され、競技運動以外の運動にアプローチすれば運動が好きになれる人の可能性の芽が摘み取られてしまう。

学校教育の仕組みから、これは仕方が無いのかもしれない。と、なればせめて、プライベートな時間において学校では選択できなかった「楽しい運動」に目を留め、自分でトライできるような機会を、可能性を、まずはそういうものがあるという情報を、提供すべきではないかな、と。

学校の運動は別に嫌いになってもいい。けれど、運動全体、身体を動かす行為そのものを嫌いになるのは損に違いない。......まぁ、そういう視点では、例えば「ポケモンGO」は、素晴らしいツールに違いないよね、と。

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このページは、不破雷蔵が2018年5月25日 06:54に書いた記事です。

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