体育系の礼儀正しさとマウンティングと

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某球技におけるあれこれが問題される中で、色々と納得してしまった話。タイムスタンプを見れば分かる通り、ツイートされたのは例の事案より前の話だけど。そして今件はすべての事例に当てはまるというわけじゃないけど、少なからず該当するのではないかな、と。さらにフィジカルな話に限ったものではないけれど。

自分のスキルがある程度自覚できる、さらには他から認識されると、ついその力を振りかざしてしまいたくなる。力に翻弄されるとか、強い力のとりこになるってやつ。物語で妖刀に操られて云々ってのがあるけど、恐らくはそれもこの類の一つなのでは無いかなあ、と思ったり。ともあれ、自分が他人よりも秀でているのが分かると、よほど割り切っていたり思考ベクトルが普通の人と違っていたり、何らかの経験を得ていないと、それを濫用してしまいがちになる。それは好ましい状況では無いので、併せて礼節を教え込まねばならないというもの。

力には同時に制御するものが必要となる。人の場合はそれが礼節に当たる。要は、力を持ったものの暴走を止めるための歯止めが礼節であり、力を持つ者が勝手に見につけるものでは無い、と。


表現行動が容易になったインターネット、特にソーシャルメディア(SNS)では起きがちな、悪しき意味でのマウンティングも似たようなもの。さらに困ったことに、SNS上でのマウンティングは実際に「強い力」を得ているわけでも無いのに、当人がそう思っただけで行われることも少なくない。

マウンティングはいわば力の鼓舞、(気に食わない)対象への攻撃に成り得るため、やりたい衝動に駆られるだろうし、やってしまえば本能的なすっきり感を得られるだろう。でもそれでオシマイ。それを繰り返してしまえば単なる野蛮人でしか無くなる。

どうせ力を使うのなら、自分自身のためだけでなく、他の人にも、社会全般にも、対象となる界隈の進歩発展のためにも、役立つようなものに使う方がいいのだろうな、と。直接なすっきり感は得られないかもしれないけど、色々と効用は巡り巡って、じきに色々な面でプラスとなって帰ってくるから。

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このページは、不破雷蔵が2018年5月23日 06:50に書いた記事です。

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