作品の風呂敷をどうやってたたむのか、広げること自体を楽しむのか

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先日終わった某恋愛ものに関して、色々と賛否両論非難ごうごう的なお話があった流れから、かな。非常に納得できる文言化があって納得できるものではあったので、覚え書きも兼ねて。

作品を作る時には最初からゴールを用意しておく場合と、書くのが楽しいからどんどん書いて、ゴールは色々な都合の上で必要になったりとか、話の中で終息しそうになったらでいいやっていうのがある。後者は大体ラノベで当てはまるパターン......ってこれは前にも書いた気がするけど。他方、前者の場合でも、書いていくうちにどんどんノリが良くなってきたり、世界が勝手に動き出して収拾がつかなくなったりして、ゴールとは別のところに行ってしまい、辻褄がごちゃごちゃになったりする。

まぁ、書き手自身が「こういう世界を書きたいのであって、その世界の結末を書きたいのではない」という場合も多々あるのだろうけど。これって例えるならMMORPGと同じ。その場での時間を過ごすことが目的であり、その世界の結末は目標としていない。

ただし、話のゴールがはっきり定まったもので無いと、大抵風呂敷をたたみきれなくて、終わった後に読者にしてみれば虚無感やら不満が爆発することになる。例えば例の自由の女神が最後に登場する版の「猿の惑星」で、実は子供が想像した夢でしたとかいうオチだったらどうだろうか。それすらも作風として割り切れるようなハチャメチャさならともかく。

まぁ、少なからずは期待されていた終わり方で、その世界が締めくくられなかったことへの不満もあるのだろうけど。


「歴史ものの記録を読んでる感じ」ってのは上手い表現で、まさにMMORPGをやっているような感覚ではある。

まぁ、でも、納得ができない終わり方だったとしても、破天荒で理解が難しいエンディングだったとしても。まだちゃんと締められているだけ、その作品は幸せかもしれない。更新が段々まばらになってしまいに新作が出なくなったり、何らかの事情で結末が永遠に読めない作品ってのも多数あるのだから。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2018年5月15日 07:11に書いた記事です。

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