子供に教えとく時の手法としての物語やたとえ

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先日ちょいと報じられて問題視された、危険性を伝えたら恐怖を覚えたので責任を取れという話。その話自体は理不尽感を覚えたので続報待ち状態ではあるのだけど(この類の話は多分に全体像が見えていない、話が端折られてわけのわからない内容となってしまっている)、それから連なる話として。

子供に何か社会生活の上で必要な物事を教える際に、そのまま事実をリアルに伝えても分からないってことがある。経験則が無い、薄いから、大人と同様の教え解きではインパクトが大きすぎる可能性もある。自動車を常日頃から見ている人に自動車の走りを見せても何の不思議も無いけれど、江戸時代の人にいきなり自動車を見せたら腰を抜かすってのと同じ(ちょっとオーバーだけど)。

なので子供など経験の浅い人には、色々な例えとか柔らかい表現で疑似体験をさせて学ばせる必要がある。図画工作を幼いうちからさせて、色々な失敗を経験させるってのと発想は同じ。童話が多分に教訓を含んでいるのも、実のところはその教訓を教えるために存在するのであって、順序が逆なのだな。「童話の中に教訓がある」のではなく「教訓のために童話が作られた」という。無論、そのパターンがすべてでは無いけれど。

震災の時に伝承の類は、過去の災害や災厄を後世に伝えるために物語り化したという話をした。それも結局のところ、思惑としてはさほど変わりは無い。多くの人に当時の教訓、戒めを伝えるための方法論の一つ。

それを「怖がるかもしれないから」「トラウマになるから」との理由でシャットダウンしてしまうのは、どうなんだろうか。無論その内容が、現状ではまったく逆の意味、悪しきものを引きずることになっているとか、弊害を生み出すのなら話は別だけど(教訓の通りに行動すると犯罪になるとか、ね)。いわゆる無菌室状態での過保護教育を思い出す。


それでうまく成長する過程で自ら学び取れればいいけれど、世の中そううまくはいかない。大人がする連想を形成するためのパーツ作りが十分に出来ていないから、極論が出てきたり、現実にはありえないような妄想的な話を鵜呑みにしてしまったり、自分の世界内での結論を現実とすり変えるような行為をしてしまう。精神面での病の病症にもこんな感じなのがあったな。

引用元では怪談としているけど、怪談に限った話では無く童謡や童話の類も含め、語り伝えられてきたお話とか伝承は、理由があるからこそ伝えられて今まで残っている。その理由を考えてもいいんじゃないかな、と。

他方、この疑似体験という観点では、VRとかARはどんな役割を果たせるのだろうかと思ったりする。リアル度が増すのでインパクトも大きいけど、似たような効用も期待できるのかもな、と思ったりもする。「ゲーム感覚で何をいうか」「ゲームと現実の境い目が曖昧になって危険だ」という意見も出てくるかもしれないけどね。科学系での博物館でよく行われている、色々な環境の疑似体験コーナーと似たようなものだと思えばいいのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2018年5月13日 07:58に書いた記事です。

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