「報道の常識は世間の非常識」と仲間意識と

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先行する記事でも挙げている共同通信のやらかしに関して、ネット系の媒体は比較的厳しいツッコミをしているけど、新聞社などはまあぬるぬるだよねえ的なレベルに留まっている。恐らく続報の類も無いだろう。対象が対象なら続報やら関係者の話やら関連する事項やら識者の意見やらで矢継ぎ早に伝えてくるのは必至で、そのようなことはこれまで何度となく繰り返されてきただけに、対応の非対称性が改めて確認できる。

要はデタラメやってバレたからこっそりと差し替え、元からデタラメが無かったかのように振る舞い、その様式を同一業界の他の人も肯定している、と。


ちょいと雑な感もあるけど、新聞業界内では共同通信社の今回のやらかしは当たり前のことで、むしろ何で非難を集めているのだろうかという首傾げ状態な雰囲気が感じられる。その空気の異様さに、ツッコミがさらに入るという状況。新陳代謝が行われない組織は自然に腐敗するけど、その末期的な症状ですらある。

かつて報道界隈は「永田町の常識は世間の非常識」とせせら笑っていたけど、実のところは「報道の常識は世間の非常識」となってやしないか、的な。


まぁ、そういうことだよね。百歩譲って事情を知るとしても、それをなるほどそれは仕方ないねと許せる内容であるか否か。まぁ、無理だろうね。所謂悪しき既得権益の所業だから。


今件事案では共同通信の姿勢ももちろんだけど、それに加えてソーシャルメディア上にいる同業関係者の対応も小さからぬ問題となっている。中身がそういう思惑、性質ならば、作り上げられる商品となる記事の本質もその程度だよねえ......という。

恐らくは昔からこの程度のレベルでしか無かったのだろう。それが新聞という一方向性、特殊性、独占的な立場にあったからこそ許されていたし隠蔽できたし、むしろ飾ることすらできた。けれど情報発信の手段が大きく変わり、ハードルが下がったことで、その実情がバレてしまったという感じ。

例えるなら昔は壁の向こう側から一方的に顔を見せてドヤ顔し、一般市民に崇め奉られる立場だったのが、その壁が無くなって市民と全体を相対することができるようになり、直接やりとりができるようになると、全体像のいい加減さまでが見えて、反撃も受けるようになった感じ。それでもなお、壁があって一方的に指図できる立場にあると考えているから、トラブルが頻発してしまうわけだな。

まさに「報道の常識は世間の非常識」だというわけだ。

            

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2018年1月27日 08:08に書いた記事です。

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