報道が自分の意思を持って報じるのは禁じ手

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タイトルですべてが終わってしまう話ではあるのだけど。事実を素早く正確に端的に伝えるのが報道の役割であり、そこに許容範囲を超えた伝えて側の意図を織り交ぜて解釈して論評するのは、報道ではない。「ニュースステーション」とか「報道ステーション」というように、報道やニュースの名を冠しているけれど、中身はニュースや報道ではなく論評や自己解釈の提示のようなものは詐欺行為でしかない。ラーメン屋と書いてあるのに中で売っているのはそばとうどんだけだったようなもの。何度となく語っているけど、ニュースとオピニオンは混ぜてはいけない。混ぜたら危険......な状態が昨今なのだな。

で、これって実のところ、上で例えているように、スマートスピーカーが自身の意図で勝手に情報を取捨選択して編集した上で伝えたり、命じていないのにスキルを操作し始めるようなもの。

例えばスマートスピーカーが「あなたが疲れるという言葉を連呼していたのでSNSのしすぎと判断しました。SNSのアカウントをすべて削除し、スキルも消しておきました」「疲れているのは食事が貧相だからです。クレカにアクセスして使用上限まで豪華な料理を注文しました」「あなたの愚痴をそのまま警察当局に通報しておきました。個人情報も合わせて通達してあります」などと勝手に判断して実行したら、どう思うだろうか。そんな行為は求めていない。本体を叩きつけてメーカーにクレームを入れ、損害賠償を求めるだろう。今の報道はまさにそのような状態にある。

もっとシンプルに例えると、桃鉄のキングボンビーと同じ。今の報道、メディアはキングボンビー。


しかも指摘されている通り、当人らは多分に善意のつもりでやっている。これがタチの悪さを助長している。悪意のない悪業ほど始末に負えないものは無い。悪質な宗教にとらわれた人とか、催眠状態にあるのと同じだからね。

まずは存在意義、最低限の責務であり、存在理由である「事実を素早く正確に端的に伝える」ことを果たしてほしいものだ。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月19日 07:58に書いた記事です。

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