対ミサイル訓練とカーテンを閉めることと

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災害にしても戦争にしても、備えておくことにこしたことはないという観点では同じようなもの。個人ベースでは対処策しかとる方法は無い(神のような力を持っていれば話は別だけど)。「最後に頼りになるのは自分」ってのも、この辺りにあるのではないかな、と。

で、先のミサイルの訓練周りで一部こんな指摘がある。やるだけ無駄、震災後の放射線周りでバカ騒ぎしていた一部反社な方々と同じではないか、と。実のところはむしろ逆で、一緒にされては困るレベルの話ではある。また話にも挙がっているけど、冷戦時代では半ば以上常識だったことの繰り返しの部分も多いのだけど、その冷戦時代に成人だった人、つまり相応の分別がついていた人がいまさら大騒ぎしているのはどういうことなんだろうか。反社行動が経験や知識を踏みつぶしてしまったのかな。あるいは冷戦当時から、「そんなたぐいの人」だったのかもしれない。


対ミサイル訓練の一環として、カーテンを閉めるという行動をせせら笑う人、侮蔑する人、さらにはその所業そのものを政府なり社会なり関連組織の蔑称に使う人がいて、ああこういう人たちはどのような場でもそういう人でしかないのだな、と人としての品質を刻印せざるを得なくなる。

多分にゼロリスク論的な考え方をくすぐる手法なのだろう。カーテンを閉めてすべての被害が防げるとでも? ばっかじゃねーの? 的な。ちがう、そうではない。確率論的に少しでも安全のチップを上乗せするための手法の一つに過ぎない。自動開閉の機構があるのなら、雨戸を閉めるボタンを押したっていいわけだ。

当人がそれらの所業をバカにして成さないのは別にかまわない。それは個人の自由ではある(残念な話には違いないが)。しかしながらそれを他に風潮し、真面目に考えてやろうとしている人の足を引っ張るのは、正直悪業と表現しても良いだろう。以前挙げた気もするけど、避難訓練でわざと大騒ぎして指示に従わない子供がそのまま大人になったようなものである。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年9月 5日 07:57に書いた記事です。

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