所属記者の公知発言を「個人の感想です」とかわす新聞社

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東京新聞特報部の佐藤圭記者が自身のツイッターに「(前愛媛県知事の)加戸氏の発言があまり報道されなかったのは、報道する価値がなかったに過ぎない」と投稿した。佐藤記者は、24日に産経新聞、産経ニュースに掲載、配信された阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員のコラム「阿比留瑠比の極言御免」のネット記事、「民主主義破壊するメディア 安易な『報道しない自由』の行使」を添付しており、この記事への反論とみられる。

先日も言及した記憶がある、東京新聞記者の認証マーク付きツイッターアカウントによる、そば事案(森友、加計)のうち加計事案における、東京新聞における偏向報道宣言。当然突っ込まれまくったわけなのだけど、それに対して(一般人なりがコメント求めても無視を決め込むのは当然だろうということからなのか)産経新聞がツッコミをしたところ、「記者個人の見解。編集局としてのコメントは無し」とのお話。

該当記者が単なる短期雇用のアルバイトとか、新人とかなら教育が足りなかったということで仕方ないのかもという同情を得られるかもしれないけど、それなりの立場にいる記者で、しかも社所属としての肩書を有した上で認証マークを受領している以上、その肩書・連動性は誰もが認めるところであり、「知りません」では説明ができない。

「個人の見解です」が通用するのなら、東京新聞は自社記事に関して今後同様のスタンスを取る必要がある。企業の誰かが何かをしても、その人個人のしたことであり、所属企業は何の関係もない。公務員が何かをしても、その所属する属性には関係が無いように表記をしなければならない。それをしなければ、自社の都合の良いように見方を変える、ダブルスタンダードでしかない。


これは何も東京新聞に限った話ではない。さらには肩書・所属を有して、その肩書・所属を表明した上でソーシャルメディアに関わっている人すべてに該当する。立場を表明している以上、その立場を利用しているのであり、それは同時に連動性という責務を負っていることになる。自分の都合の良い時だけ看板を利用し、都合が悪い時には「個人です」は通用しないのだね。

無論これは「看板を持つ人はソーシャルメディアを使うな」を意味しない。看板を持つ以上、連動性を常に認識した上で使いましょう、それがイヤなら看板を外し、一個人として使いましょうというだけの話。

ツイッターは特にブログやFacebookと比べて記述・公知ハードルが低いので、つい本音、個人の本質の一面が出てしまいがちになる。しかしそれとて自身の身分を表明した上での、世界に向けた公知情報に他ならない。身内の後援会や部外者立ち入り禁止の場での発言ですら大騒ぎして責任問題うんぬんとするのなら、まずは自身の身を正すべきではないだろうか。

それが出来なきゃ今の報道は単なる活動家だ。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年8月31日 07:18に書いた記事です。

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