「フェイクニュースを避けるために新聞でメディアリテラシーを習得しよう」との話を新聞記者がなされる事案

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フェイクニュースなる言葉は以前からあったようだけど、一般的になったのは米大統領選で米メディア界隈が騒ぎだしてから。ネットニュースにその類のニュースがあったのは事実だけど、報道メディアが主張しているようにネットのフェイクニュースが米大統領選の結果を左右したほどの影響力は無かったし、むしろフェイクニュースは報道メディア側が積極果敢に流していた感はある。それでも思うがままに出来なかったので、フェイク話をネットの情報に擦り付けちゃえてきな思惑が見え隠れ。

日本の報道メディアも似たようなもので、しかも米国からの概念輸入の際に劣化してしまっているのが実情。ネットの情報はフェイクだらけだから、新聞でメディアリテラシーを学ぼうとか、それを新聞記者が語るとか、どこの喜劇か、的な。

今件、子供向け......というか子供を持つ保護者向けっぽい意味合いの機関紙での話なので、ますます笑えなくなる。


「ニュースソースから朝日新聞を取り除くだけで、フェイクを摑まされるリスクは軽減できる」あまり笑えない話だけど、今やさほど間違っているようには思えない。新聞はいまや、正しい情報をざっと読みするための情報ツールではなく、正しい情報を得るためのアンテナ程度の役割しか果たしていないのだろう。それってWikipediaとか、電車のつり革広告ぐらいの意味合いしかない、と言われたら、どこまで否定できるだろうか。まぁ、天気図とか株価っていうのはともかく。

これは以前言及した、「報道は事実情報を語ることが社会的責務であり、仕事である」「書き手の想いや感想や訴えたいことは論評で成すもので、報道とは別物」とも意を同じくする。論評と報道をごちゃまぜにしているから、結局すべてが事実情報を取得するためには不必要なものとなる。新米のお米が欲しいのに、古古米と混ぜ、さらにそれを新米として販売していたのでは、そのお店で購入する必要は無いよね、ということ。

まぁ、フェイクニュースだのファクトチェックってのも、実のところは自分達の実情を表現する言葉だったことから、それが紐づけされる前に、他に無理やり括り付けて「自分達は違う、むしろ指摘糾弾する側だ」と騒いでいるのだろうな。「私はやってない、潔白だ」という前世紀に流行ったという言い回しを思い出す次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月 1日 08:00に書いた記事です。

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