あれはダメでこれは良い、その判断基準はどこにあり、その基準の正当性は誰が担保するのか

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ここ数日ちょいとした話題に登っている、某大手週刊誌のカラー企画のお話。半裸っていうか、表現としては微妙なところだけど、ともかくその類の絵が出たら、それに対して子供の教育上よくない云々として反発をなされる動きがあちこちで見受けられる。

「子供の教育上よくない」というけれど、その良し悪しは誰が決めて、その判断の確からしさは誰がどのように担保しているのかな、単にあなたがそう思ったから、そう判断したから、感情的にじゃないのかな、というツッコミをしたくなる。ちょっと前の「若者の犯罪は増えている」という話と似たような雰囲気。実統計を見たら中長期的に減っているじゃん、というオチだったけどね、あれは。

で、「子供の教育上よくない(ように見える)」とするのなら、それも確かに意見の一つとしてはアリだし、反発をする理由の一つにはなるだろう。しかしながら、そのような理由で公知される情報に対し疑問を呈し、抗議し、取り下げや自粛を求めるとするのなら、もっともっと「子供の教育上よくない(ように見える)」のはあるのだよね。

指摘されている通り、昨今では大の大人達がよってたかって「許さない」だの「死ね」だの「ヒットラー」だのって公衆の面前で叫んだり、それを「報道」の大義名分で繰り返し伝えるとか。昨今では髪の毛の薄い、寂れた方に対する別称を半狂乱的に語るアレが、面白半分で繰り返されているのは、教育上どうなんだろう。アレはよくてコレはダメ、その基準は誰が決めたの?

結局今件も、気に食わないという感情レベルの話だったり、棍棒を振り回すことで自らの行動のアピールに使えるからという感は否めない。「子供の教育上よくない」という名前の正義の棍棒は、社会正義のように見えるのならどのような不公平さ、理不尽さも許容されるべきだという、まさにPC(ポリティカル・コレクトネス)棒と何ら変わりはないのだけとね。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 9日 08:05に書いた記事です。

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