ペルソナ戦略とRTSと...「報道」の問題の一側面

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先日の零戦周りにおけるAERA記者の挙動に関しては、色々な方面から「報道」の実情を思い返させる、気が付かせてくれる良い機会となった。その気づきの一つがこれ。報道は原則的に公明正大を基本理念としてはいるけど、それと同時にある程度のターゲット層が想定され、その人に向いた内容を構築する。大人向けの官能小説的な連続小話や無茶苦茶難しい話をこども新聞に載せたらいけないよね、的な(特定の対象者を想定して、その人に向けた対応をする、商品開発を成すのをペルソナ戦略というのだな)。

今件AERAならば指摘の通りの方向性のはずなのかな、と。ただ、記者の挙動に代表されるような昨今の動向からも見られるような、偏りの著しさってのは、以前は無かったはずなのだけど......ある意味進化というか先鋭化してしまっているのかもしれない。数字的にそれを推し量ることはできないのだけどね。

そして、ならば指摘の通り、このような方向性ですとして堂々とうたえばよい。「いぬのきもち」のように題名からどーんとアピールして、その方向を向いているとすればよい。公明正大さを喧伝しつつ、偏りが過ぎるから、羊頭狗肉な状態となる。

......それをやると機関紙とどこが違うのだろうとか、売店に置かれにくくなるよねとかいうものがあるのだろうけど。


もう一つ。これはもやもやっとしていたものをスパッと文字化してくれたので、圧倒的感謝感。新聞やテレビなどの既存メディアは一方向性で、ソーシャルメディアのような双方向性には対応しにくい、中の人が誤認しているってのは先の記事でも言及してるけど、その方向性の違いの一つの要素が、リアルタイム性にあるのかな。

完全なターンバトル、しかも敵の攻撃は一方的に無視できるようなものと、RTS方式で自分が行動したらその動きに合わせてもりもり反撃も受けるって感じ。ターン制でゲームをしているはずだったのに、敵がRTS方式で殴り返してくるのだから、逆切れしたり素が出てしまうのも当然かな、と。

で、当方はRTSの起源は「Patton Strikes Back: The Battle of the Bulge」かなと思っていたのだけど、それよりも前の「The Ancient Art of War」だったことが分かってびっくり。「ポピュラス」は1989年だから、それよりも前か......。

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このページは、不破雷蔵が2017年6月 8日 07:52に書いた記事です。

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