政治家は選挙で選べるが、官僚や報道は選べない

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例のそば事案のうちの後ろの方の加計事案。今や内情は報道・文科省事案な気がするのだけど。そのやり取りや報じられ方を見るに、指摘されている話を頷きまくって首が居たくなるほど。ちなみに後半部分は「公文書」に絡んだ半ば覚え書き。そこにある文書が本当に指摘されていた時点で存在したか否かと、その文書に書かれてある事が事実であったのか否かは別の話。その簡単なロジックをふっ飛ばして、今の報道界隈は暴走している感は強い。書かれてあることがすべて事実となるなんて、そんなドラえもんの秘密道具じゃあるまいし。


という話はよく聞くけど、これも実のところは新聞側の主張によるミスリードでしかない。ネットの記事は選択肢がやたらと増え、しかも記事単位で読めるから、有象無象の中からチョイスできるまでの話。新聞は冊子単位なので、選択肢が少ないから、タコツボに見えないまでの話。そう、米国における全国ネットワークのテレビとケーブルテレビ、あるいは紙媒体の雑誌とウェブ展開の漫画と同じような感じ。

官僚が政治家に嫌がらせをする。その構造で国民はどのような対応をすべきか。無論、自分達に、国全体にとって良い方向に歩むような方を支持しなきゃならないのだけど、政治家は選挙で選べるものの、官僚は選べないのだよね。官僚側が悪しきものだとしても、国民はそれを叩き落す事ができない。この一方向性というかいびつな構造が、今のおかしな状態を作っているんじゃないかな、と。

そして選挙で選べないのは報道もまた然り。「買わなきゃいい、観なきゃいい」のは事実だけど、それでは時間がかかりすぎるのもまた事実ではある。暴走を止める方法がないってのは、まさに「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」に他ならないのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年6月22日 08:01に書いた記事です。

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