「ポスト真実」より欲しい、報道に求めているのは「単純な事実」

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米国で流行ったこともあり「フェイクニュース」「ファクトチェック」がひとしきり日本のメディアでもバズワードとなったけど、それを使う側がフェイクニュースを日常茶飯事的に流しており、ファクトチェックを受けなければならない方が他人を精査すると棍棒振り回し状態となったものだから、あっという間に言葉の権威が失墜し、胡散臭いものとなってしまった。

そして今度は「ポスト真実」。次なるもの、次世代という意味でのポストを頭につけることで、「客観的事実より、感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況」(【コトバンク】)を意味しているとのことだけど。要は報道側が語っていることが信じてもらえなくなったので、こっちを向いてよいうこと聞いてよ誘導されてよ、という主張をさも正しい事であるかのように言語化した部分が多分にある。「ポスト真実」を検索すると、胡散臭ささく裂な評論家や知識人がそれらしく語っているのが良い裏付け(中身も胡散臭い。「自分達のいうことが聞いてもらえなくなったのはおかしい」的な。まるで【「物言えぬ社会」って「RTやいいねしてもらえない」ってことだよね】のようでもある)。

で、指摘の通り、「ポスト真実」云々をいうのなら、まずは偏向しない事実を語る方が先ではないかな、と。「真実」と「事実」とは別物なので、本来は「Post-truth」ってのは「ポスト真実」ではなく「ポスト事実」と訳さねばならないのだよね。「ポスト真実」と訳して用いている時点で、思惑が見えてしまっている。事実関係などどうでもよい、偏向して偏見や思惑がもりもり詰まった「真実」を信じなさい、それが上手くいかない現状は「ポスト真実」で、それは良くない状況だよ、と。何それ酷い。


「ポスト真実」はとりわけ朝日新聞が使っているようだけど、その朝日新聞に限っても指摘の通り、このしばらくにおいても、テロ等準備罪やプロメテウスの罠など、ポストがどうとかいう前にやるべきことが山ほどあるだろうに、的な。ああ、そういえば「ファクトチェック」云々言い出して自ら記事の中でコーナーを作っているのも朝日新聞だっけ。

適当な、都合の良い定義づけをして勝手に使い倒して陳腐化させる。昔から使われてきた手法なのだろうけど、最近それが加速化している気がする。

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このページは、不破雷蔵が2017年6月18日 08:07に書いた記事です。

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