Jアラート対応手法は「防災」ではなく「減災」のため

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先日もお伝えした、半島情勢の緊迫化に伴うJアラートの発動可能性と、それが生じた時の対応の話。当方は指摘されるまで気が付かなかったのだけど、政府やら自治体やら官公庁の説明内容を揶揄して、社会的批判に当てている界隈がある。「被害がゼロになるようにしないから無能」「そんなやり方しか対処できないのか」などなど。しかも市井の人だけでなく相応の肩書や経験、地位のある人、他人に教鞭を成すような人たちまでもが。ちょっと、というかかなり唖然としてしまった。

「政治的色眼鏡で曲解」との表現があるけど、むしろさらにそこから「何でも政治批判に結び付ける」と解釈した方がよいのかな、という感はある。

先日も言及したし軍周りの知識がある人なら認識はしているはずなのだけど、そして指摘されている通り冷戦時代に物心ついていた人なら経験もしているはずなのだけど。今回公的機関などから言及されている対策は、ほぼ冷戦時代に確立された方法と変わらない。またその多分は先に話題となった【「東京防災」】にも書かれている。

今回のJアラートに関する対応手法、つまり半島情勢に絡んで発生しうる、弾道弾の日本への着弾リスクに関わる対応は「防災」ではなく「減災」のため。バカにしたり軽んじているのは地震周りの話と同じく「防災で無ければダメだ」とするゼロリスク論でしかないのだよね。そしてそれは事実上無理。不可能ではないけど、リスクを引き起こす側を事前に木っ端みじんにしなきゃならない。

そしてゼロリスクが出来なければダメだとして騒ぎ、減災手法を非難する界隈にツッコミを入れると、「感情が」「政府が」と騒ぐ点まで、震災以降に湧き出てくるようになった他の方面でゼロリスク論を振り回す界隈と同じような属性によるものなのはなぜかしら。極めて不思議ではある。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年4月24日 07:05に書いた記事です。

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