「物言えぬ社会」って「RTやいいねしてもらえない」ってことだよね

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多分にタイトル落ちな気がするけど。先日のタイムラインチェック中に目に留まった「モノ言えぬ監視社会づくりが進んでいる」との話。具体的対象の引用はよしておくけれど、大体お察しの通りで、昨年の「私たちは怒っています!」宣言や一昨年の「1200人声明」と中身、構成陣営に大きな違いは無い。そしてその本髄である「自分達の意見が取り入れられない、世間に受け入れられないのはおかしい。これはモノが言えない社会だからに他ならない」との思いが言葉になっているのだな、という状況にも違いなし。

「自分達の主張が多数派ではない、取り入れられない、非難されるのは世の中が間違っている」と考えるだけなら自由。いくら考えても良いし、日記に書いてもいいし、それを他人に語っても良い。でもそれを特権の濫用目的にしたり、正義のラベルを貼った棒を振り回す裏付けにしたり、政治目的に悪用したり、社会や世間のせいにしてだだをこねるのは、人として間違っている感は否めない。社会的反対運動では多分に、このテンプレートが使われているのも合わせ。

まさに

「物言えぬ 社会」とあなたは 言うけれど その発言は なんで出来るの?

だよね。

「物言えぬ社会云々」は「だからあれこれに反対」との主張を広めたいのだろうけど、広まれば広まるほど「物言えてますよね」を立証してしまう。これほど間が抜けたお話はない。

このような状況を端的に示す、よい例は無いかな......と考えていたら。


そうそう。まさにこれ。機能的にツイートが出来なくなった、RTやふぁぼが不可能になった的なことを言ってるけど、実のところは「自分のツイートにRTしてもらえない」「いいねしてもらえない」ってことなんだよね。自分の言葉が受け入れられないのは社会が悪い、との責任転嫁。

......と、例えを改めて読み直すと、これってもの凄く恥ずかしい事じゃないのかな、とも思えたりする。

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このページは、不破雷蔵が2017年2月 4日 07:49に書いた記事です。

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