今の報道の品質と姿勢は「時計仕掛けのりんご」を思わせるようで

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最近......というかソーシャルメディアの普及で普段は取材を受けることでしか世間一般に情報発信がし難かった専門家や、それに近い知識を持ち取材を受ける機会が無かった人たちの意見が容易に不特定多数に届くようになったことで、報道界隈の取材の体たらくぶりが頻繁に暴露されるようになっている。何度か報道の実情に関して「劣化が進んでいる」「元からそうだった」のどちらかなという話はしているけど、どうも後者が多分の感はある。

昨今の報道における、情報をスマートに分かりやすくフィルタリングする役割の放棄どころか、自分の意図する内容へと偏向させる姿勢を見るに、今の報道は手塚先生の作品「時計仕掛けのりんご」で使われた某薬品を混ぜるフィルタと化している感はある。「時計仕掛けのりんご」そのものは検索すれば山ほど説明が出てくるので詳細は省くけど、陸自の反乱部隊が山奥の街を物理的に閉鎖した上で情報も断絶させ、ある薬品をその街の中で用いて洗脳させようとしたお話。

例えるなら報道とは、情報が雨水なら、それを貯めてフィルタし飲み水として家庭に送る上水道の仕組み。ところがフィルタは汚れて目詰まりし、さらに薬品を混入して飲む人を思うがままにしようとするように。「水が汚い」「なんか混じってる」との苦情が増えても「私たちは正義」と耳をふさぐ状態。

報道の役割は水の浄化と適正量化を図るフィルタであるはずなのに、最近は目詰まりを起こし、さらに変な混じり物を加えている......あるいは昔からそうであって、最近になって浄水場やら水道管の実態がバレてきたってのは言い得て妙だなと思う次第。

この「ばれてきた」ってのは、上記にあるのが一例だけど、記者の不勉強による会見場の酷いやり取りや、その後の記事のぐだぐださ。SNSの普及浸透もありよく目に留まるように......というか可視化だよね。

このような状況に関して「報道サイドでリソースが足りていないから仕方が無い」との意見もあるけど、「仕方が無いで済むなら報道としての職を成す必要性は無い」でファイナルアンサー。

ふぐ料理で中毒者出して、「免許を持っていなかったけど作りたかったから仕方が無い」では済まない。自動車事故を起こして「免許を取っていなかったけど運転したかったから仕方が無い」で済むなら警察は要らない。もっとシンプルに。「お金がないけどお腹が減ったので無銭飲食をした。でも仕方が無いよね」とドヤ顔を決められたら、お縄になるだけ。取材対象への相応の対応と事前勉強は、最低限の条件。

時間が無い? 人材が無い? リソースを投入してアウトソージングをすれば良いまでの話。それが出来なければ、内作ができるように内部への投資、人材の育成をするのが責務。それができないのなら、ビジネスとしてどこか間違っている。「サービス残業をさせないと経営が成り立たない」と主張するのと、本質は同じ。社会的責務を自称するのはいいけれど、リソースが足りないからとでたらめをやる理由にはならないのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年1月18日 07:46に書いた記事です。

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