配慮すべき対象と配慮の度合いと

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「お客様は神様です」話と通じるところがあるのだけど、ソーシャルメディアの普及浸透などを受けて、小売業での乱雑なお客の姿勢に頭を抱える店舗側の声をよく聞くようになった(加害側に高齢者が多い云々はまた別の話)。物理的なミスなどならともかく、お客が不愉快を覚えたと主張しただけで、無制限の権限を有してそれを発動しているかのような行動をよく耳にする。

この類の話は片方のみからの言及で、さらに中には「マクドナルドの女子高生」のように作り話もあるのだろうけど。当方も何度かその類の事案は直に目撃しているので、あながちウソ偽りがすべてとは言い切れないと思うのだな。「ネタかよ」と脳内でツッコミをしながら状況を確認したこともあったぐらいだし。

「不愉快」ってのは明確なガイドラインが無い。極論として相手に責が無くても自分がそう思えば、それを理由に配慮を求めることができるのなら、いつでも発動できる。その方が自分にとって便益を得られると学習すれば、すぐに使うだろう。白地の小切手を持っているようなものだからね。


確かに昔からその類の界隈はいた。けど、「何バカやってんだか」と周囲も無視したり制止するのが比較的当たり前というか社会のルールだった気がする。大声を挙げればその時点で、挙げた内容が理不尽でも自動的にコールドゲームが成立してしまう。なんだか変。「不愉快に思っている側はそれなりの理由があるのだから、配慮をしなければいけない」ということなのだろうけど、その不愉快によって上げられたこぶしを振り落とされる側への配慮はどうなのだろう。あるいは理不尽なこぶしなのかもしれないのに。


一見すると無理っぽいモノでも、努力を重ねてハードルを飛び越えて成長して可能になるということもある。でもそれを理不尽な追及で強要されたら、なんか違うよね、という気はする。

「お客様は神様です」的な話に加え、生存者バイアスのケースも該当するのかな。言及はされていないけど、「自分はできた、他の人はできたのだからお前もできるはずだ」的なものもあるのだろう(「他社ができた、他のお客はしてもらえたのだから」となるとお客対店員の話になるけど)。

配慮とかおもてなしの類は、する側が好意で、相手の気持ちを想ってするものであり、される側が強要するものではない。できないものはできないし、やろうとしないのにはそれなりの理由がある。無理なことを要求して「これが駆け引きだ」とビジネスを語るが如く主張している人もいるけど、それって一歩踏み外すとすべてを失う可能性があるんだよね。相手を打ち負かしたように思えても、周囲はそのようには思わない。その辺りは気を付けるべきだと思うのだよな。

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このページは、不破雷蔵が2016年12月 5日 07:17に書いた記事です。

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