情報参謀は作戦参謀であってはならない

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世間が肩書や経歴を重視するのは、それらに裏書される専門的な知識や見解、発想などがあるから。いわば百科事典的な存在であることを期待されているわけだ。その中にはエッセンス的に、副菜的なレベルでなら、本人自身の意見や主張があっても良い。それが事典のあるべき内容を補完するものであれば読み手はすくい上げればよいし、ノイズにしかならないと判断したら打ち捨てればよいまでの話。

ところが指摘の通り、肩書や経歴による権威を悪用し、政治的、運動家のような、活動家のごとき挙動を成す界隈が少なからず見受けられる。私たちが求めているのはあなたの百科事典的な知識、見識、情報、分析であり、百科事典そのものを振り回して武器にして他人を殴る能力を求めているのではないのですが......的な。

そういう界隈を専門家と呼ぶのは正しくない、活動家とか運動家と呼ぶべきだとの話は大いに理解納得賛同できる。武器を売るのは武器屋だけど、武器を振り回して悪行三昧を重ねる人たちを武器屋とは呼ばない。

さらに最近では自ら「活動家」を標ぼうしているにも関わらず、その人を「専門家」と同じように扱うところも出てきて、困る次第ではある。活動家の言及は基本的に専門家によるもののように見えても、専門的なものとしては見ずに、一歩引いて見通す必要があるのだけど。

専門家は極力政治活動はすべきではない、というのはまさにこの部分。専門家と活動家の領域が入り交じってしまい、専門家の言及としての価値が無くなってしまうから。先の憲法論議で、多くの憲法学者や社会学者がはまってしまったパターンではある。あの一連の行動で、該当する人たちは勿論、憲法学や社会学そのものの専門性が疑われる始末となってしまった。

それはまさに「情報参謀は作戦参謀であってはならない」ということなのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年11月19日 07:25に書いた記事です。

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