目の前で成される簡単そうに見えること、そこに至るまでに必要だったたくさんのこと

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似たような話は以前別の切り口で紹介した記憶もあるし、類似事案は別の界隈でも頻繁におきているのだけど。特にクリエイティブ系の仕事に関しては、この傾向が強いということで。

仕事のひとつひとつの工程が時間的に短かったり、見た目で簡単そうに見えるとき。人は、特に思慮の浅い人は、その行動のみで対価を勘案してしまう。しかしそこに至るまでには、その仕事を成した人は、何年にもわたる努力、修行、経験を積み、失敗をしでかし、回り道をしている。生まれた時から天才的な技能を発揮する人などいない。人によってはちょっとした訓練だけで天才的な結果を出す人もいるけれど、それはごくごく少数でしかない。

目の前で出された成果物の後ろには、見渡す限り一面に広がった、頭を上にあげても見極めきれないほどの経験が積み上げられている。

今件の場合はさらにタチが悪い......というか頭が悪いのか、その辺りを認識した上で、それでも対価を認めないというもの。まぁ、そのような類の人は、早々に滅びるのだろうな、というか滅んでほしい。


インターネットの普及浸透でデジタルを中心に情報にも相応の価値が見いだされ、または紐づけされるようになり、関連する仕事も増えてきた。従来の物理的な物品のやり取りにおいても、情報への価値が与えられることも多くなってきた。また最終的には物品として体現化するものでも、デジタル情報として取引がなされることが増えている。

他方、人は概して目の前にあるリアルなものにしか価値を見出しにくい。ましてや形に見えないものならなおさら。資格とか肩書とかには平伏して対価をバンバン出すのに、それがないと価値そのものを認めなくなる姿勢ってのもおかしな話ではあるのだけど。

相手が子供だったり部下だったり親しい人の場合は、啓蒙して教えとくのが望まれるのだろうけど、仕事相手だったり初見の人な場合は、色々と察して距離を置くのが一番合理的なのだろうなあ、と思う次第。自分の仕事、これまでの蓄積をその程度しか評価しない、正しく推し量る物差しを持っていないとなれば、意思疎通の時点で困難を有するのは目に見えているし、その際の労苦へのリソース投入は非常に無駄。

もっと有効な、自分も相手もハッピーになるような人と付き合うのが良い気がしてならない。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月 1日 08:02に書いた記事です。

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