従来の報道業界が組織形態を維持するのなら必要な変革とは

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何度かここでも取り上げているけれど、情報の3次元的広まりに伴い、従来の報道界隈の仕組みではまともな内容の報道を成していくのは難しくなっている。体裁を整えることだけなら可能かもしれないけれど、中身はすでにぼろぼろで、羊頭狗肉どころか羊頭泥団子レベル。中身が泥団子でも羊頭であれば構わないとするのなら、あるいはそれでも良いような分野ならそれでも構わないのだけど、多分にそれでは困る分野まで泥団子がぎゅっと高密度で詰め込まれているから困りもの。

各方面の相応な技術、情報、理解を持つ人を多分に内部スタッフとして抱えておくことになれば、数倍、数十倍もの人員の維持が欠かせないけれど、それは事実上無理。となれば、そのような人材の存在を把握し、必要時に適時に話を聴いたり招集することが可能な、人事部的な能力が多分に必要になるのではないかな。

無論それは多分に、万能な能力、執筆力を有するという、報道貴族的な立場を捨てることになる。必要に応じてその方面の専門家に頭を下げ、礼を尽くし、協力を要請する。人事部的なとの表現を上で用いているけど、同時に営業的な部分も欠かせない。もちろん同時に、自身の領域の限界をしっかりと認識すること。


そして加えて、単に専門的な分野の人材の招致だけでなく、その専門的な情報をかみ砕いて教え説くことができる、翻訳家、HUB的な人材も必要。いずれもこれまでは、報道内部で構成員がすべてをこなしていた時代。でも今は無理。大衆食堂ならば、ラーメンと餃子とチャーハンだけを創っていればよかった時代では無い。牛丼屋なら牛丼だけを創ってればOKってわけじゃない。

もっとも。情報が大いに広域化しただけでなく、報道、特に新聞界隈の内部品質の度合いが大いに劣化している、あるいは元からその程度でそれが暴露されつつあるというのは、容易にチェックが可能。「社説」に目を通せばよい。中には「これが受験に出るから」と社説の中身をプッシュしているところもあるけれど、ぶっちゃけると益より害の方が大きいので(しかも益になるように見せかけて実のところ害だったとのパターンが多々ある)、さわらぬ神にたたりなし、という気はする。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年9月19日 07:03に書いた記事です。

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