報道・取材行動に何らかの自制や規制を求めると「萎縮する」と猛反発があるけれど

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豊洲問題で何かと報道関連の暴走......というよりはすでに珍走団的な走りっぷりが目に留まる一方で、伝えない自由を思う存分行使している事案も多々あり、出来の悪い子供に刃物と自動車を与えてマッドマックス状態にしているようなものだなあと想いながら、ふと疑問符が頭に。

実名報道とか放送法の解釈が良い例だけど、報道界隈では頻繁に、何らかの規制や取り決め的なもの、見方を変えると自由奔放なその所業に少しでも歯止めをかけようとする、自制を求めるような動きを見せると、「報道が自粛するから良くない」との反論が成される。そしてそれが絶対のものであるかのように語られる。

しかしよく考えてみると、報道にとって伝える対象となる情報は商品に他ならない(慈善活動的なものだから商品では無いという詭弁は無し。対価ゼロで活動しているのなら話は別だけど)。一般企業が商品の表示を誤ったり問題のある内容の商品を販売したり、販売姿勢や原材料の調達に問題のある行動をした場合、大いに糾弾され、問題視され、行動を改めるように促され、その方向性に報道は伝えていく。

報道各方面自身は自分達の「報道」に見せる姿勢と同じように、「企業の生産、販売行動が萎縮するから、その情報は伝えないようにしよう、罰するのは良くない」との啓蒙姿勢を示すだろうか(見方を変えると「伝えない自由」を行使している対象は、報道界隈は「その対象は社会的に推挙されるべきものだ」との理解に基づいたものになると解釈されるので、それはそれで不味い場合もたたあるのだけどね。「しゃぶしゃぶ温野菜」のように)。

情報の提供を生業とし、情報そのものが商品である以上、問題行動や内容に関しては、一般企業同様に対応される必要がある。他業界は良くて、自分の業界は萎縮するからダメというのは、まったくもって道理が通らない話でしかないのだけどね。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年9月18日 07:24に書いた記事です。

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