日本の「ジャーナリズム」と、一握りが無理ならば

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先の都知事選の立候補者の一人のジャーナリストが、現状だけでなく過去のジャーナリズムの少なからずにおいて、かなりのぐだぐだであったこと(当事者が重鎮的な扱いをされているところが多分にあったところも合わせ考えると、本人だけというのは考えにくい)を合わせ考えると、むしろ「元々質はこの程度で、唯一不特定多数に情報発信できるツールを持っていたから、ジャーナリストとして大手を振るえた」「今は情報発信のハードルが下がったので、元々の発信内容の品質への精査が深まり、相対的に『情報発信ツールを牛耳っていた』ジャーナリストと呼ばれた人達の評価が下がった」と思っているのだけど。

前兆的なものは調べ返すに、指摘の通り前世紀末ぐらいからだった感はある。ただ、本格的なものとなったのは、従来型携帯電話の普及浸透、スマホへのシフト、そして震災。この3つがターニングポイントだった感はある。具体的な数量化ができないので、あくまでも雰囲気だけど。

PHSにも色々と個人間情報交換の勢いが増したらしい話はよく見受けるけれど、不特定多数への情報発信までは達していない。むしろ従来型携帯電話における勝手サイトの浸透とか、いわゆる「ケータイ小説」辺りが大きいかなあ、と。もちろん色々な掲示板も。


掘り下げることが可能な人材が、情報発信の手段を得られるようになった。そしてその情報を投げることで、集合知が生じることにもなる。専門家、ジャーナリストを集めた討論会的なものが、日々行われているようなものだ。

一握りのジャーナリスト界隈では無理なら、二握りでも三握りでも用意すれば良い。それが時代の要請。それができないのなら、品質に問題があると指摘されても文句はいえない。チャーハン専門店が需要に応えてラーメンや餃子、焼売、野菜炒め、さらにはグラタンやカレーまで用意するようになったけど、どれもこれも中途半端で味も今二つ。当然お客からは文句を言われる。だからといって、お客に逆切れしたり、専門店の超おいしいメニューですとウソをいえば、距離を置かれ客は離れていくのは当然の話。


「門外漢が門外漢向けへの情報発信」。現状の報道は多分にこれ。分かりやすいかもしれないけれど、正しいとは限らない、むしろ間違ってる的なものとなっている。本来なら「専門家が門外漢向け」が一番ストレートなのだけど、専門家は概してそのようなことには長けていない。なにしろその必要は専門の研究には必要ない、優先順位は低いのだから。なので、「専門家の語る内容を咀嚼して門外漢に分かりやすく情報発信をする、正しい知識を持った翻訳者、ルーター的な存在」が欠かせない。今の報道にはそれが求められている。

無論そのためには、ある程度の専門的な知識が必要になるし、分かりやすく解説するための技術も有していなければならない。ある意味、それをするための専門家ともいえるだろう。今後はこの立ち位置の人材が求められるはず。

色々と指摘はされているけれど、大雑把に集約すると、情報の集約も発信も、そして情報そのものも、この10年、20年の間にダイナミックなまでの変貌を遂げている。特に情報そのものの質の変化はインターネットの普及により、恐らくは人類史上これまでに経験したことがないであろうほどのレベルに達してしまっている。

にも関わらず、旧態依然の仕組みと陣容で対応しようとするから、あちこちに問題が噴出し、さらにこれまでの内情までもが暴露されてしまっている。今の山手線に、明治時代の蒸気機関車と客車を使って乗客を運搬しようとしているようなもの、と表現すれば分かりやすいだろうね。

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このページは、不破雷蔵が2016年9月12日 07:52に書いた記事です。

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