「給料を上げるとお金目当ての人が集まり信頼が出来ない」と「お金はけがれている」との関連性

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先日ちょいと触れた、人を雇うにはリソースとしての対価、直接的には相応の給与が必要であるとの話の続き的なもの。まあ、いくら給与のみが高くても生死を分かつお仕事で安全が保障されていなかったり、人権を無視した現場だったりすれば話は別だけど(要は常識と良識で考えよう、ということ)。

結局、信頼できる人は対価があろうがなかろうがやってくるとの前提で考えると、対価をしっかり払う場合は、その信頼できる人と、対価を重視して来る人がごちゃごちゃになるということ。ただその場合でも、対価があろうがなかろうが、信頼する人はちゃんとやってくるのだから、後は雇う側の選択眼の問題となる。それとも信頼できる人ってのは、対価が支払われると逆に来なくなる? それっておかしいし、そもそもそのような選択をする人を「信頼できる」としてよいのかな。

こう考えてみると、「対価を支払う、上げると信頼する人が来なくなる」という理屈はさらにおかしくなる。指摘の通り、人材の見極めが出来ないと自白しているようなものだ。さらに「信頼」って言葉自身、定義的によじまがっているのかもしれない。


ある意味、この発想は正しいかもしれない。「対価を上げると信頼する人が来ない」云々は、自分の言いなりになりやすい人が来ないとの考えかもしれない。ただ先日の記事にある通り、対価を求めない人は多分に自分の意思を振り回してくるので、逆にコントロールしがたいのもよくある話ではある。


もっと納得行ったのはこの指摘。日本ではなぜか昔から結構浸透してしまっている、お金はけがらわしい、お金の話はするもんじゃない的な信奉が絡んでいるのかな、と。お金は汚らわしいから、それに従ってやってくる人も汚らわしいと。実際のところ、できるだけ懐は痛めたくない、お金は出したくないという本音も多分にあるのだろうけど、同時に「お金の話をしてくるような奴は汚い奴で、だから信頼できない」というのもあるのだろうな。


今はどうかは定かではないけれど、過去においてはこれは良く言われてたお話。そして今の公務関係でも言えること。相応に充足した生活を送れるような対価が支払われないと、公務をおざなりにしてワイロを要求するようになる。まぁ、新興国でよく言われるお話。国や地域の特性があるので、それなりの対価が支払われていてもそのような事案が発生することはあるけれどね。

ともあれ、何の背景も無いお金を汚い、けがれているとする風潮は、そろそろ止めにしてほしいもの。そんなにけがれていると思うのなら、当方がすべて引き受けてあげましょう。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年9月 4日 08:08に書いた記事です。

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