「コンクリートから人へ」は「土木軽視すべし」の総決算だったのかも

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現在進行形の某事案で、数年前にキャッチコピーとして使われた「コンクリートから人へ」的な話がまた持ち上げられたことで、この言葉自身への再総括的なものもあれこれと生じている。何度か以前にも言及したかもしれないけれど、このコピーは結局のところ、「コンクリート」をこれまでの政権そのものになぞらえたのに加え、数十年に渡って報道界隈が押し付けてきた価値観である「土木業は軽視すべし、さげすむべし」「インフラは蔑視して構わない、軽んじて良い」的な意図の総決算的なキーワードだったのかもしれない。

何となくイメージとして刻まれてきた、土木建設業に対するネガティブなイメージ、インフラ軽視の考え方は、尽きるところ報道による表現の仕方、姿勢によるところが大きいのだから。「コンクリートから人へ」を声高に語った人達へ、報道界隈が猛烈なプッシュをしたのもうなづける。

ちらほらと言及しているけれど、反原発の動きとか米軍基地周り、オスプレイに関する運動もまた、安定した社会の象徴として発電所や基地、オスプレイをイメージさせ、それに抵抗することが、これまでの社会への反発につながるとの認識があるのだろう。帝国海軍の象徴は戦艦大和だから大和を沈めれば意気消沈するはずだとか、何かの映画でありそうな、東京のシンボルは東京タワーだから東京タワーを占拠してしまおうとか、そんな感じ。

もっとも、指摘されている通り、コンクリートはそれそのものだけで独立した存在では無く、すべてが人に貢献するための存在である以上、コンクリートもまた人に等しいものとなる。ちょっと考えればすぐにおかしいと分かるような言い回しをヨイショして太鼓持ちした報道界隈、ジャーナリズムってなんだろう。

また「コンクリートから人へ」は人治主義(人治主義...有能な人物の裁量や裁断を中心に治める考え方。法規範などの社会規範を尊重しない統治)を求めるものだとの解釈もできる。しかし人は神では無く、ましてやそれを唱えた人達の政策・統治能力はお世辞に評価しても平均点足らず。結果は目も当てられない次第だったわけだ。むしろ独裁主義だったような感すらある。

実のところ現状はむしろ「コンクリートから人へ」より「ジャーナリズムから人へ」ではないのかな、とも思ったりする。既存の、一部界隈が独占していた、一方的な情報配信による「ジャーナリズム」から、人同士の情報のやり取りとそれの総括、検証による相互理解的な意味での「人」。新たなジャーナリズムの創生ってところかな。既存のジャーナリズムがすでに体たらくに陥っている、あるいは元からそうだったのが暴露されつつあるのは、現在進行形でも十二分に理解できる材料がある一例あるところだし、ね。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月24日 07:19に書いた記事です。

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