他人が管理するウェブ上に書込んだ内容とそれを削除すること

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いわゆる「忘れられる権利」にも絡む問題。この「忘れられる権利」が定義があいまいで、人によっては「自分にとって都合の悪いことは他人が管理しているものでも無条件ですべてを消せる」と認識されている。実のところはあくまでも検索エンジン上で検索されないようにするだけの話なんだけどね。

掲示板なりブログのコメント欄では、それを運用する人が神的な存在となる。あらゆる権限を(機能の限り)有しているからだ。書き込みの削除、編集はもちろん、並べ替え、書き込みそのものを止めてしまう、さらには世界そのものの封印(コメントの禁止、さらには掲示板やブログの閉鎖)までもが自分の意思で可能となる。

他方、その権限を乱用・濫用すると、その世界は荒れてしまう。管理人の横暴さに耐えかねてその場を離れる人とか、逆切れしてスパム行為に走る人とか。いわゆる乱世状態になってしまうのは必至。強権政治の下では人は自由なやり取りができるはずはない。この辺りはネットコミュニティの管理運営全般にいえることで、その方法論をまとめた本も何冊か出ているはず。

王様は絶大な権力を持つけれど、だからこそその力はぎりぎりまで使用を留めねばならないし、使うにしても最小限であることが望ましい。伝家の宝刀はその存在そのものが一番の効力となる。まぁ、コミュニティの方向性にとっては運用者側の思惑があるので、一概にこれが正しい、これは間違っているとは言い切れないけれど。


今では管理側の運用形態の内情が色々と暴露されていることもあわせどうなっているのか怪しいぶぶんもあるけれど、少なくとも以前の2ちゃんねるでは書き込みされた内容は石に刻まれた文章のようなもので、特別事例で無い限り削除はできなかった。書き込みした本人でも。だから、証拠としては十分なものとなりえた。「半年ROMれ」とは空気を読んで慎重さを身に着けるようになるまでは、読むだけの参加にした方が良いというネットスラングではあるけれど、有益な言い回しには違いなかった。慣らし運転みたいなものだ。


しかし今のソーシャルメディアでは全般的に、書き込みをした人への権限が強化されているため、本人による削除は容易であるし、Facebookなどなら書き込んだ後の編集もできる。さらに運用側によるものも合わせ、容易に過去の発言を記録から抹消することができるようになった。キャッシュで保全する手もあるけれど、常にすべてを記録するのは事実上無理であるし、この部分は将来使うだろうから消されても良いように記録しておこうってのは、非常に大きな労苦を必要とする。

ウェブ上の行動記録を消す、消されてしまうことで、後に検証が難しくなる、存在を確認できなくなる、さらには記録そのもののリカバリーが出来なくなるってのは、まるで旧ソ連時代においてよくやられていた、集合写真のうち都合の悪い人物を消すコラージュのようで、確かに「ゾッとする」。

さらにいえばこれと類する形で、先行記事の【「流行ってる」語れば 流行ると思ってる】にもあるように、実際には流行っていないのに「流行っている」と声高に語ることで、それが後世で「流行っていた」と歴史の刷り込みをされてしまう可能性もあるわけで、こちらもゾッとする。この点では【流行語大賞の違和感と懸念と】で言及した、中身がおかしくなってしまった「流行語大賞」にもいえること。

情報化社会ってのは、情報が生活の軸となる。そして情報は容易に操作されやすい。それは生活そのものが操作されやすい、さらには抹消されやすいことをも意味するのだよね。まさにゾッとする。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年6月20日 08:10に書いた記事です。

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