資格も権利もそして技能も無い報道が旗振りして「刑を執行」させるってのは良い事なのか

| コメント(1)


先日の都知事周りの動向。どうももやもやしていたものがあるのだけど、その大部分を代弁してくれたのがこの話。結局、多分に報道やらゴシップ記事がベースとなり、それが火をつけて大騒ぎとなり、その圧力で辞任した形となってしまった。これっていわゆるリンチとかいじめと同じ構造だよなあと感じたのは当方だけだろうか。

この類の話をすると「報道には伝える責務、使命があるし視聴者などはそれを求めている。自分達には責は無い」とする説明、言い訳をよく耳にする。しかし受け手が求めているものは該当する報道内容に限ったものでは無い。報道は自らそれらの中から選択し、その選択の責を受け手に被せているのと同じ。

これは放火犯が「可燃物に火をつけただけ」と言い訳するのと同じでしかない。可燃物は何処にでもある。炎上するような場所に存在している可燃物に油をまき、火を放ち、風を送って火を煽ったのは他でもない放火犯。報道の行動はまさに放火犯に等しい。


この考え方ならまさに「マスメディアの方が炎上体質」という意味も良くわかる。目標にした家が全焼するまで次々に周辺の可燃物に火をつける。火が付いたのは可燃物だから仕方がない、的な。


まず報道に求められているのは事実を過不足なく、極力伝え手側の意思を折りこんで曲解されることの無いように、公明正大で第三者的な立場から伝えること。それがプレス。そしてその事実の伝達の上で、どのような解釈ができるのか、他の事実との結びつけでいかなる実態が浮かび上がってくるのか、それを示すのがオピニオンであり解説。つまりジャーナリズムとやらにとっても、まずは事実をしっかりと正確に、偏向することなく伝えるのが一義的なもの。住宅ならば土台の部分。

現行の技術ならばそれは人工知能ですら大よそできてしまう。それすら満足に出来ない状況が相次いでいる、あるいは暴露されるようになっているからこそ、「現在の報道番組のジャーナリズム精神は失われつつある」とすべきなのではないかな。いや、元々失われていたのが可視化されるようになってきただけなのかも。

話を戻して。昨今の都知事周りの話が好例なのだけど。権利も権限も資格も、そして恐らくは能力も無い報道界隈が世間一般を煽動し、不特定多数の需要の中から都合の良いものを抽出して焚き付け、それを「多数の視聴者の意見だから」として圧力と成し、法令や手続きを超えた結論を強要する。

つまりは報道の一部の人達が、独自法的な方の解釈者であり判決を言い渡す裁判官足りえる状況となっている。法の執行者は読者、視聴者。このような状況は正しいのかしらね。センテンススプリング砲とかおだててる面もあるけれど、非常に危うい話には違いない。

関連記事             

コメント(1)

ああ、確かに。
恥ずかしながら、積極的に煽動には乗らないまでも、仕方ないんじゃないの?と思ってました。
法治国家の国民である、って自覚してないと難しいことなんですよね。

コメントする

            

最近のコメント

Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年6月17日 07:39に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「「自由」ってのは何をやっても許される、自由奔放を意味しない」です。

次の記事は「くまもんデザインの熊本県応援キャンペーン、ローソンで展開」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30